神社仏閣に行く理由は、
願掛けをしたい、癒やされたい、神仏に話を聞いてもらいたい、縁起物や護符を購入したい……
など、人それぞれですね。
さてここで、真面目な人は、もしかしたら、このように思うことがあるかもしれません。
『縁起物で開運したいから縁起物を買いに行こう!
でも、この理由で神社に行くことは、「欲」を持って参拝しているような気がする。
これって神様に失礼かも?』
同様に、
『「魔」を寄せ付けないための護符がほしいから買いに行こう!
でも、これも護符が欲しいという「物欲」を持って、お寺に行くわけで、仏様に失礼なのでは?』
どちらも全然失礼ではありませんよ~。
神様も仏様も「人間を救いたい」「助けてやりたい」と思っています。
開運したいからと縁起物を買いに来た人や、護符に守ってほしいからと買いに来た人を、「欲」を持って参拝しているなー、と思うことはありません。
縁起物や護符は、授与所で売っているものです。
神社仏閣のほうが、どうぞ買って下さいね、と置いているわけですね。
それを目当てに来ている人を、神仏は悪く思うどころか、微笑ましく見ています。
というのは、縁起物のパワーを、「迷信」と馬鹿にしているのではなく、信じている、または信じたい、という気持ちを持っている人だからです。
そこに礼を失するものは何もありません。
そこにあるのは、
縁起物が開運してくれるかも? 縁起物がこの先の人生を明るくしてくれるかも?
護符が守ってくれそう、護符があれば安心して暮らせそう、
という「希望」と「期待」なのです。
その希望や期待を、神仏が否定することはありません。
神仏は困っている人、悩んでいる人、救いを求めている人に、手を差し伸べたいのです。
一生懸命に生きている人間を、サポートしてやりたいと考えています。
台湾や中国で、神様として祀られており、多くの信仰を集めている「関羽」さんは、
人間が神仏に助けを求めるから、神仏は手出しができる、と言っていました。
願掛けをされるから、堂々とその人を救うことができるのです。
そういう意味から、関羽さんは、自分のところに来た多くの参拝者を見ながら、
神仏に願うのは、「よいこと」だと言っていました。
というわけで、
運気が低迷している、縁起物が「運」や「福」を呼んでくれるのなら、縁起物がほしい、と神社に買いに行くのも、
コロナに感染したくない、護符が守ってくれるのなら、その護符がほしい、とお寺に買いに行くのも、
まったく失礼ではありません。
人生が行き詰まっている、人生がうまくまわっていない、コロナが怖い、不安で仕方がない……という気持ちが根っこにあって、それで縁起物や護符がほしいわけですから、
そこは、「神様仏様、助けて下さい!」ということと、同じなのです。
ですから、縁起物や護符目当ての参拝でも、なんの遠慮も、心配もいりません。