「東京でひっそりスピリチュアル」に、深大寺のことを書きました。
元三大師さんに「角大師」の貼り方などを聞いているのですが、そこで円仁さんの話題になりました。
その会話文について、出版社さんから見せてもらった読者ハガキに、質問が書かれていました。
「後輩である元三大師さんが、本当に〝円仁〟と呼び捨てにしたのでしょうか?」という内容です。
ずいぶんと後輩でありながら、大先輩を呼び捨てにしたのかな? という疑問は当然だと思います。
でも、そういうものなのです。
というのは、お坊さんとして生きていた時代、功績にかかわらず、最澄さんの下にいるお坊さんだった仏様は同列だからです。
たとえて言えば、最澄さんが薬師如来だとしたら、円仁さんと元三大師さんは脇侍のような立場です。
円仁さんが日光菩薩、元三大師さんが月光菩薩、みたいな感じですね。
生きていた時代があとだから、仏格が下になる、ということはありません。
日光菩薩のほうが先に仏様になっていて、時代も古く、生きていた時は大先輩だったとしても、
薬師如来という仏様の下では、日光・月光菩薩は同じ立場です。
日光菩薩が生前は先輩だったので、仏様になったあとも、何百年・何千年たっても、先輩扱いしなくてはいけないということではないのです。
月光菩薩が私と会話をする時に、
「日光菩薩さんが、こうおっしゃっていた」と、日光菩薩に敬語を使うとか、さん付けすることはありません。
それは薬師如来に対しても、脇侍の立場ですが、
「薬師如来さんが(もしくは、薬師如来さまが)、こうおっしゃっていた」という言い方はしないのです。
「薬師如来がこう言っていた」です。
お不動さんが「阿弥陀如来さんが、このようにおっしゃっていたぞ」と言わないのと同じです。
生前に天台宗のお坊さんだった仏様は、仏様になった今でも、最澄さんに対してものすごく敬意を払っています。
ですから、仏様としては最澄さんと同じ……
先ほどの例で言えば、最澄さんも円仁さんも元三大師さんも、同じ薬師如来になるのですが、
円仁さんと元三大師さんは最澄さんの前では謙虚になるため、自分から脇侍の立場にランクを下げます。
というわけで、元三大師さんが「円仁」と言うのは、人間の感覚では「あれ?」と思うかもしれませんが、仏様としては、おかしくないというわけです。