「赤坂氷川神社」です。
この神社は境内に入ったところで、
「あ、ここは明らかに来たことがある。それも過去世で」とわかりました。
しっかりとした神社の記憶があるのです。
私には幕末に生きていた過去世があります。
男性でした。
当時、流行の志士をやっていたので、張り切って江戸にも何回か来たことがあるのです。
その時にこの神社に参拝していたようです。(何回か来ています)
上の写真でおわかりのように、鳥居の向こうに、右横にも道があります。
その道を見た瞬間に、「あっちだ! あっちから参拝していた!」とハッキリと思い出しました。
境内の写真を撮っていましたが、あわててそちらに行ってみました。(あわてる必要はないのですが、こういう時はなぜか必ずあわてています。 笑)
右にあった道は、この石段から上がるようになっています。
狛犬像も独特で、
パワーがありました。
この石段を上ると、
このように境内には横っちょから入るわけですから、社殿へ行くには右に曲がらなければなりません。
はて?
この参道を通っていたという、私のこの記憶は正しいのか……。
ということで、調べてみました。
江戸時代後期に描かれた図です。
おぉ~。
昔の正式な表参道は横っちょから入って、直角に曲がっていたのですね。
へぇ~! 意外とちゃんと覚えているものだな、と思いました。
この2枚の画像は、「三井住友トラスト不動産」さんのサイトで、「近世までの麻布・赤坂~このまちアーカイブス」というページからお借りしました。
https://smtrc.jp/town-archives/city/azabu/index.html
というわけで、現代の表参道に戻りまして、
左を見ると、このような説明板がありました。
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の奥さんの実家がここにあったのですね。
松の廊下事件のあと、ここで過ごされていたそうです。
へぇぇ~! と思いつつ、
写真を撮らせてもらいました。
今はこのように、
お社が設置されています。
古い石灯籠です。
嘉永5(1852)年と刻まれていました。
由緒板です。
驚いたのは、享保15(1730)年に、8代将軍徳川吉宗公の命により造営された社殿が、今もそのまま残っている、ということです。
狛犬も、現代版ではないな~と思ったら、
弘化3(1846)年のものでした。
ここまで、長々と境内の説明をしてきましたが、いよいよ拝殿に向かいます。
あ!
いいですね~、癒やされます。
最近は、手水鉢にこうしてお花が飾られていて、ほっこりした気持ちにさせてもらえることが多くなりました。
これも古い石灯籠だな~と思ったら、文化6(1809)年に奉納されていました。
さきほどのものより約50年古いです。
うわぁ♪
可愛い狛犬です!!!
ガォー! ではなく、ミャー、と鳴いていそうな雰囲気です。
んまー! なんて可愛い後ろ姿♪♪
年代は読めませんでしたが、かなり古そうです。
狛犬は、「あ」より「うん」のほうが可愛いというのが一般的なので、「うん」のほうも見に行きました。
「…………」
可愛くないことはないです。(←微妙なフォロー)
「あ」は27円のお賽銭が置かれていましたが、「うん」は1円でした。
そこ、差別しないでー、と思いました。
お待たせしました。
やっと楼門をくぐります。
都会の真ん中にある神社ですが、神社特有の静謐さが保たれています。
東京なのに、それも赤坂なのに、と不思議に思うくらい落ち着いているのです。
堂々とした、貫禄のある社殿は、それもそのはずで、安政の大地震、関東大震災、東京大空襲など大きな災禍を奇跡的に免れてきています。
瓦が入っている練塀で、こちらも古いものだとわかります。
神社のすぐ近くには勝海舟邸跡がありました。
叶えてほしい願いがある、そしてこの神社にはまだ行ったことがない、そういう方に〝特に〟おすすめの神社です。
私の過去世のお話もちょっと聞いています。
11月25日発売です。