私は「神様がこんなことを言っていましたよ〜」「仏様にこのように教えてもらいました」ということを、皆様にお伝えしています。
理由を聞いた時はそれも書いていますが、理由はナシで結論だけの時もあります。
そのような時に、たまにですが、読者さんから「理由はなんですか?」と質問をされることがあります。
えっ! 理由? うわぁ、すみません! 聞いていません~ というのが、ほとんどです。
神仏に「こうだぞ」と言われたら、その場で「へぇ~! そうなんだっ!」と驚いたり、目からウロコが落ちたりします。
新しく知ったことについて、「へぇ~」「ほぉぉ~」「そうだったのか~」と思うだけで、「どうしてなのだろう?」という方向に思考がいかないことが多いです。
神仏が「こうである」と言ったことは間違いなくそうなので、単純に受け取って、それ以上の質問をしないことが……意識はしていませんが、よくあるように思います。
さらに、神仏は、聞かれたことにしか答えないというのが当たり前なので、質問について、サービスで細かく理由まで説明してくれません。
私が理由を聞かなければ、そこで「終わり」なのです。
たとえば……。
「神様、明日のお天気はどうなりますか?」と聞いたとします。
「明日は嵐だ」
ここで、「え! 今、こんなに気持ちよく晴れているのに? どうして嵐になるん? 」と思えば、理由を聞きます。
すると、台風がどこそこにいて、その影響でこうなって、低気圧がああでこうで……と理由を教えてくれます。
別バージョンの答えで、
「明日のお天気はどうなりますか?」
「明日も晴れだ」と言われれば、
へぇ~、今日と同じように明日も晴れるんだな~、と答え(結論)を受け取るだけで終わります。
納得する答えが返ってきたため、そこでもう満足しているのですね。
私がかぶせて質問をしなければ……この話題は、ここで終わりです。
「明日も秋晴れなんだな~」と私が納得して、質問をしてもいないのに、
上空の寒気がこうなってああなって高気圧がこうでああで……と、神仏はくどい説明をしません。
「晴れ」で、天気のことは伝わっているからです。
もうひとつの例として、
「参道で、してはいけないことはなんでしょうか?」と質問したとします。
「ツバを吐くことだ」
こう言われたら、「ふむふむ、そうなのか」で終わりです。
なんで? と思わないので、突っ込んで聞かないのです。
で、ブログや本で、「参道では、ツバを吐いてはいけないそうです」とお伝えするわけですね。
そこで「どうしてですか? 理由も教えて下さい」というメッセージが来たら、
「えっ? 理由? うわぁ、すみません! そこ、聞いてなかったです~
」となるわけです。
詳しい説明が書かれていなかったら、「はは〜ん、これは、その場でふむふむと納得して、結論のみを受け取ってきたのね~」と思っていただけたらありがたいです。
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