本日書く内容は、個人的見解です。
お坊さんやお寺の関係者の方々とは意見が違うと思われますので、そこをご理解のうえ、お読み下さいますようお願い申し上げます。
~✳︎~✳︎~✳︎~✳︎~✳︎~✳︎~✳︎~✳︎~✳︎~✳︎~
供養についての質問を時々、もらいます。
ここ最近、多いのは、宗教・宗派を越えた供養についてです。
私に信仰のタネを授けてくれて、神様や仏様、幽霊など、見えない世界に詳しかった祖父母は、母の両親です。
母方です。
父は、ほぼ無宗教という感じで育ったのですが、代々の家の宗派はもちろんあります。
浄土真宗です。
こちらは、位牌を作らない、持たないという宗派ですが、
父方の祖父の位牌はあります。
ついでに言えば、母方の祖父母の位牌も、同じ仏壇に入っています。
けれど、なんの問題もなく、仏壇内は平和です。
宗教に関しては、何をどう考えるのか、どこまで受け入れるのか、宗教の教義にどこまで従うのか……
など、いろいろと難しい部分があると思います。
でも、一番大切なのは「故人を思う気持ち」です。
亡くなった家族が、
亡くなった愛する人が、
亡くなった仲のよかった友人が、
亡くなったお世話になった知人が、
あちらの世界で穏やかに、心地よく、にこにこと笑顔で過ごせるようにお手伝いをしたい……。
その人たちが、50回忌の向こう側に早く進みたいと頑張っているのなら、応援したいし、たくさんのサポートを送ってあげたい……。
このような、故人を心から思いやる、崇高な気持ちが、すでに供養なのです。
そして、この思いは、宗派で決まっていることを正しくしなければ届かない、というものではありません。
以前にも書きましたが、仏教徒ではない人に写経をプレゼントしても、供養はちゃんと届くのです。
故人が、仏様に詳しくなくても、仏様を知らなくても、写経は本当に喜んでもらえます。
逆に言えば、決まりごとだからと頑張ってお金をかけて供養をしても、そのせいでふところが寂しくなって、しょんぼり……
という供養は、故人に喜んでもらえません。
なぜなら、そのしょんぼりした気持ちも届くからです。
というわけで、供養に関しては、自分の思うやり方で問題ありません。
それが「送る側」「送られる側」の、どちらかの宗教・宗派を越えていても、ちゃんと届きます。
さきほどの話に戻りますが、浄土真宗でも位牌を持っていいと思いますし、実際に、私の実家はそうしています。
宗派的には……ダメなのかもしれませんが、位牌自体は仏教のものですから、心配はしなくても大丈夫です。
大切なのは、本人の「故人を思う気持ち」なのです。