※前回の続きです。
神仏はノドが渇くことはありませんし、空腹になることもありません。
ですから、お供え物を「欲しがる」ことは絶対にないのです。
それはつまり、基本は、何も持っていかなくてもいい、ということです。
けれど、「神様どうぞ」 「仏様どうぞ」とお供え物を持っていくと、とても喜んでもらえます。
「神仏を思う」その優しい気持ちが、輝くほどに尊いからです。
あたたかい信仰心が入ったお供え物は特別に美味しく、神仏をリラックスさせたり、ニコニコの笑顔にさせたりします。
けれど、たくさん買うのはちょっと……ということがあるかもしれません。
たとえば、本殿と境内社が2社ある神社に行く、境内社の神様にもお供え物をしたい……となるとカップ酒を3つ買うことになります。
今のふところ具合では、これはちょっと痛い……という場合や、
自宅まで持って帰れないから、おさげしたあとは捨てなければいけない、それはもったいない……という場合など、
事情はいろいろあると思います。
このような場合、お供えはやめたほうがいいです。
前述しましたように、もともとしなくてもいいものなのです。
「3つも買ったから、ふところが痛いわ~」とか、「もったいないよな~」というネガティブな気持ちが入ったお供え物は、まったく喜んでもらえません。
ネガティブな感情入りのお供え物をするよりも、何も持たずに行って、ニコニコと楽しく手を合わせるほうが参拝としては正しいのです。
そのほうが喜ばれます。
同様に、お賽銭も気をつけます。
「今日は大きな願掛けをするから、奮発して5,000円を入れよう!」と、5千円札を入れたとします。
そのあとで「5,000円はもったいなかったな~」と思うのであれば、もったいないと思わない金額を入れることをおすすめします。
神仏はお金が欲しいわけではありません。
正直な話、お賽銭は入れなくても〝神仏に対して〟は、問題ないのです。
お賽銭の金額で願掛けが叶うかどうかが決まることはありません。
私は、参拝させてもらっているお礼として、神社のためにお賽銭を入れています。
修繕が必要だと思われるところは、お手伝いができればいいな、ということで多めに入れています。
おトイレを貸してもらった場合も多めに入れています。
お賽銭は神様、仏様にお渡しするお金ではありませんから、余裕がなければ少ない金額でも全然かまわないのです。
経済的に苦しい時は無理をせず、10円でも20円でも入れさせてもらうか(参拝させてもらったお礼として、です)、
お賽銭はパスさせてもらって、ニコニコと明るい気持ちで参拝したほうがいいです。
お供え物も、お賽銭も、できる範囲でさせていただく、というのが基本です。
「惜しむ気持ち」を神様・仏様に差し出すのは、意識してやめるようにします。
できない時はしなくてもいいのですから、神仏に申し訳なく思う必要もありません。
神仏にとって、一番嬉しいプレゼントはピュアな「信仰心」です。
神社仏閣に笑顔で行って、「神様、大好き」「仏様、大好き」と手を合わせることが、何よりも喜ばれる参拝なのです。