先日、いただく質問のことで、記事を書きました。
「個人的なお返事はしておりません」という表現は、私の言いたいことが伝わりにくかったようで反省しています。
似たようなメッセージを何通かいただきました。
その内容は、
以前に、質問の返事はしないと書かれていたので、迷惑をかけてはいけないと思い、聞きたいことがあっても我慢してきた。
けれど、たまに「こういう質問が来ました」とブログに答えが書かれていて、質問をしてもいいの? と混乱した。
そしたら、また、お返事はしていません、と書かれていた。
聞きたいことがあってもずっと我慢してきたのに、たまに返事がブログに書かれていて、そしてまた、返事はしませんと言われ、なんだか悲しくなりました、ということでした。
ああ、なるほど、表現が悪かった……と心から反省しました。
誠に申し訳ございません。
もっと丁寧に説明すべきでした。
「個人的なお返事はしておりません」というのは、個人的な内容の質問にはお答えしません、という意味ではありません~。
「個人的なお返事」という言葉でお伝えしたかったのは、
質問をもらっても、質問をしたその方宛てに(つまり、その方のブログに)、メッセージ(メール)として、お返事は書いておりません、ということです。
おひとりだけに読んでもらう、メールの「返信」はしてないです、という意味だったのです。
同じくお手紙も、その人のお住まいに、私が質問の答えをお手紙に書いて郵送することはしていません、という意味です。
簡単に言えば、1対1での回答、メールやお手紙の個人的なやり取りはしておりません、という意味なのです。
このように書いたのは、ご自分のお名前や住所、電話番号、メールアドレスを書いている方がいらっしゃるからです。
切羽詰まった状態の方もおられるので、そのお気持ちは痛いほどよくわかります。
お時間のある時でいいです、いつまでもお待ちしています、と訴えているので、
個人的にメールやお手紙でお返事をしない私としては、「毎日、今日か今日かと待っていたらどうしよう……」と、悩むわけです。
そのような期待をさせたままでいいのだろうか? と心苦しく思います。
いただいた質問は、「これは答えなければ!」というものや「いい質問だな~」と思ったものは、すべてプリントアウトして保管しています。
その数が膨大なので、全部にお答えすることは……正直言ってたいへん難しいです。
でも、なるべくお答えするように心がけています。
ですから、質問は受け付けております。
ただ……お答えできるかどうかわからないです、というのが現状です。
数が多いというのが一番の理由ですが、質問によっては、神仏に聞かなければわからないというものもあるからです。
ご遺体に接するお仕事をしている方から、「常に〝喪〟がついている状態です。神社に参拝しても大丈夫でしょうか?」という質問を、ここ何年かで何通ももらってきました。
これは神様に確認をしなければ、お答えできない質問です。
しかし、神様に質問をしようと神社に行っても、なぜかこの質問を忘れるのです。
あまりにも忘れることが多いので、メモに書いて持っていき、なんとか質問をしました。
すると、今度は神様からの答えがなかったりして、何年も保留状態が続いていたのです。
去年になって、仏様に聞いたほうがいいのでは? と気づき、空海さんに質問をしてみました。
そこで、お坊さんには喪がつかないということを教わり、やっと皆様にお伝えすることができたのです。
このように、内容によってはお返事に時間がかかるものがあります。
ですので、質問をされる時は、答えはないかも? もしかしたら何年後か、あとになるかも? というふうに考えていただければありがたいです。
質問をいただくこと自体は、社交辞令でもなんでもなく、本当に、心から感謝しています。
というのは、自分ではまったく疑問に思っていないこと、普通だと思っていることを質問されたりするので、
「あっ! そうか! ここは説明しなければいけないところなんだ」と気づけるからです。
いろんなご意見や感想をいただけることは、嬉しいことでもあります。
閉じている人が多いメッセージ欄を、しっかりと開けているのは、本当にそう思っているからです。
というわけで、質問に関しましては、個人的な1対1でのメールやお手紙でお返事はしておりませんが、機会があれば、ブログや本でお答えさせていただきます、というふうに表現を変更させて下さい。