一族のためだけの神社、という雰囲気でした。
ここを登って、
森の中を少し進むと、奥に鳥居が見えてきました。
鳥居の向かいはこのように石垣になっていました。
石垣の横を上がって、右に行くと、
こんな感じで、神社を右下に見ながら、道は奥へと続いています。
左にカーブしているところにも石垣がありました。
昔は家が建っていたのでしょうか。
上から神社の拝殿がよく見えます。
ここから先へ行っても森の中だったので、神社に戻りました。
拝殿はシンプルです。
この顔でこのポーズの狛犬は見たことがないかも? です。
大正14年に奉納されたのですね。
拝殿の中に入らせてもらうと、
絵馬が掛けられていました。
その奥には、石のお社がありました。
拝殿から見た景色です。
神社はこのような森の中にありました。
入口までがちょっとわかりにくかったです。
でも、このように、あちこちに
案内板があって、迷わないようにしてくれています。
マップではイマイチわかりにくい場所なので、親切なこの案内は大変ありがたかったです。
和霊神社には才谷屋のご先祖様が、神様として鎮座していました。
幕末の時、すでに神様として、ここにいたそうです。
坂本龍馬のことを聞くと、彼は一族の中で一番有名であり、一番大きなことをした、とニコニコしていました。
坂本龍馬の話題になることが、すごく嬉しいみたいでした。
神様は、豪華な着物を着ているのではなく、商売人という服装でもなく、職人のような格好です。
背はそんなに高くありません。
髪の毛がちょっと薄い、優しそうな笑顔の、親戚のおじさんという感じです。
「龍馬さんは脱藩をする時に、本当にここに来て、手を合わせたのでしょうか?」
この質問に、神様は苦笑していました。
願掛けはしていないそうです。(信心深い人ではなかったから、とのことです)
神様によれば、坂本龍馬は自分の考えをまとめる時に、〝たまに〟ここに来て、考えることがありました。
家の中だと「集中して」「深く」考えられなかったからです。
けれど、ここよりも桂浜に行くことのほうが多かったと言います。
思いきり深く入り込んで考える時や、海の向こうにアメリカがある、イギリスがある、という「世界」を考えたい時などは、桂浜に行っていたのです。
坂本龍馬の家から、桂浜までは片道2時間かかります。
時間がないとか、桂浜まで行くのがちょっとしんどい時は、この神社だったら1時間もかからずに来られるため、何回かここに来て、じーっと考えていたそうです。
「どのようなことを考えていたのでしょうか?」
日本を変えなければいけない、そのために自分の人生を使いたい、
日本を変えるにはどのようにすればいいのか、何をすればいいのか、自分に何ができるのか……
あらゆることを多角的にしっかり考えていたらしいです。
血気にはやって、やみくもに突っ走った脱藩ではなかったのですね。
それはもう、ものすごーーーく熟考していたそうですが……
神様に「お願い」をしたことは、一度もなかったそうです。