郵送でおふだを送ってくれる神社が、以前に比べてかなり多くなりました。
コロナ感染が恐ろしくて出かけられない、遠くて行けない、行く時間がないなど、さまざまな理由で参拝が難しくても、おふだがいただけるのはありがたいですね。
こうして郵送で送ってもらったおふだに「助けられました!」という方もおられると思います。
おふだのお礼を神様に言いたい、おふだに直接言えばいいのかな? と思われるかもしれませんが、お礼は特に必要ありません。
正式なお礼は、神社に出向いていってするものです。
おふだには波動が入っていますが、神様や眷属が入っているのではないため、おふだにお礼を「言う」のはちょっと違うのですね。
おふだに一生懸命お礼を言っても、そのお礼は残念ながら、神様まで届いていないのです。
ただし、おふだを神棚に祀っていれば、話は別です。
神棚に向かってお礼を言うと、その言葉は神社まで届きます。
神棚が神社の窓口になっているからです。
神様は、お礼を言ってほしいと思っているわけではないので、お礼を言わないのは、失礼ではありません。
お稲荷さんの中には(全部ではないです)、願掛けが叶ったらお礼に行かなければいけないところがありますが、それは「願掛け」が叶ったら、です。
郵送で買ったおふだの効果に助けられた場合は、願掛けをしていないのですから、お礼に行かなくても問題ないのです。
「でも、お礼を言いたいです」という方は、いつの日か、行ける日が来たら、神社に行って言えばオーケーです。
お礼を言うまでの時間が長いと感謝が少ないというものではないので、本当に気にしなくても大丈夫なのです。
万が一、神社に行ける日がこなくても、死ぬ前に行くことができますから、心配はいりません。
魂が抜けられるようになったら、ちゅい~んと行って、感謝を述べるといいです。(そのあたりのことは『死んだらどうなるの?』という本に書いています)
それで、ものすごく喜んでもらえます。
相手は神様ですから、人間とは感覚が違います。
神様からすれば、お礼に関しては、言わない人のほうが多い、というのは普通のことです。
ですから、神社に行けない、お礼を言えない、となっても、そこは普通の範囲です。
表現は悪いのですが……お礼は言われなくて当たり前なのが、神仏世界です。
それはつまり、神仏は人間を助けるのが当たり前、ということを意味します。
ですから、お礼に関しては、本当に、あれこれ気を使ったり、無理をしなくても大丈夫、というわけです。
逆に、頑張ってお礼に行くことは、神社までわざわざお礼を言いに行く人が少ないので、その参拝は特別な意味を持ち、神様にたいへん喜ばれる、というわけです。