亡くなった人の姿を見る、ということは、誰にでもあることです。
今はまだ経験がないという方も、今晩、なつかしい人、大好きだった祖父母などに、夢で会うかもしれません。
一番多くて、一般的なのが、夢で見るというパターンです。
亡くなって49日までの間だったら、まだ成仏しないという人がたくさんいます。
なので、この期間は霊の存在として見えることもあります。
この場合、霊能力がある人のほうが見えやすいかもしれませんが、霊能力が発達していなくても、ふっと何かの拍子に見えたりします。
さて、そのようにして見えた故人について、です。
たとえば、亡くなって7日しかたっていない父親を、娘と息子がリビングで〝同時に〟見たとします。
「ワイシャツを着てるってことは会社に行くつもりなのかな」と息子が言うと、
「え? 違うよ。入院していた時のガウンを着てるじゃない」と娘が言います。
こういうケースでは、お互い、相手が見間違えていると思うかもしれませんが、どちらもちゃんと見ています。
人間の考えでは、霊も生きている人間のように、着替えない限り同じ服を着ており、誰が見てもその服装、同じ姿で見えるはず、と思うでしょうが、そうではありません。
見る人によって、着ているものが違うのは、よくあることなのです。
亡くなった本人が「絶対に! この服で見てほしい!」と強く意識をしていたら、誰が見てもその服装で見えます。
けれど、本人がまったくそこを意識していなければ、さまざまな理由で着ているものが違って見えるのです。
いくつか例をあげますと……。
見る人の、その人に対する印象が影響していることがあります。
たとえば、あの人は体が弱かったな~、という印象が強ければ、入院時のパジャマで見えます。
いつも白いシャツを着ていた、という印象だったら、白いシャツで見えるのです。
見た人が「あ、あの人だ!」と即座にわかる、わかりやすい服というパターンもあります。
パッと見た時に、幽霊? と怖がったりしないように、ですね。
ジョギング仲間だったらジョギングウェアを着ているとか、テニス仲間だったらテニスウェアを着ています。
亡くなった人と最後に会った時に着ていた服、というのもあります。
理由はいろいろです。
他にも、今年は年忌の年であるということを教える手段として、法衣を着ていることもあれば……
自分の状態を、目で見てパッとわかるように、服で表現していることもあります。
たとえば、「今から成仏するよ~」と教える意味で、また、感謝を表す意味として、豪華な法衣だったり、美しい衣装をまとっていることもあるのです。
ですから、故人を見たけれど、霊能力のある親戚が言っていた服装と違っていた……とガッカリすることはありません。
せっかく出てきてくれた故人の気持ちを、ありがとうと、大切にしたほうがいいです。
故人を見たという人は、間違いなく見ているのです。