前回のやや続きです。(やや続きって、なんのこっちゃ? ですね。)
今年に入って、生きるとはどういうことなのか? そもそも人生とはなんなのか? など、「人生」について考えさせられることがいくつかありました。
多くの人は、人生の幕を閉じる時、健康ではないと思います。
私にもそんな人生の最期の時が来ます。
それは30年後かもしれないし、20年後かもしれず、もしかしたら10年後に来るかもしれません。
亡くなる直前まで、元気でピンピンしていて、散歩や買い物に出かけたり、パソコンに向かっていることはないと思います。
普通に生活をしていて、突然コロッと逝ける最期だったらいいのですが、そうではないのが一般的です。
体に元気がなくて、出歩くことは難しく、病室のベッドに寝ていることが予想されます。
それがこの季節だったら、ベッドから、窓の外の新緑を見て、
「あそこを散歩したら気持ちいいだろうな~」と、考えるだろうと思います。
すでに体を起こせなくなっていれば、見られるのは空だけ、という日々かもしれません。
そういう日は確実に来るのです。
その時の自分を……
窓から外を見ている、年老いて、自由に体を動かせなくなった自分を想像すると……
今現在、健康で、どこにでも行けることが、どれほど幸せなのか、どれほど感謝すべきことなのか、がわかります。
日々の出来事や仕事などに忙殺されていると、体が動くことも、健康なことも、周りがみんなそうだし、当たり前のように感じるかもしれません。
でも、本当は、当たり前でも、当然のことでもないのです。
気づきにくいけれど、ありがたいことなのですね。
自分が持っている幸せを、見落とすことなくしっかりと把握しておくことは、人生という視点から見るととても大切で、魂にとって重要なことなのです。