私は、時々「こうすれば霊格が上がりますよ~」ということを、本やブログにサラッと書いています。
さりげなく書いているのは、霊格を上げようと頑張るかどうかは、本人が決めることだからです。
なので、霊格を上げるべきですとか、そういう感じでは書いておりません。
そこで、です。
私はこの「霊格」をどういう意味で言っているのか、そこをちょっと説明しておこうと思います。
もしかしたら勘違いしている方がいるかも? と思ったからです。
霊格は「人格」とは違います。
人格について、デジタル大辞泉では、
【すぐれた人間性。また、人間性がすぐれていること。「能力・人格ともに備わった人物」】
と説明しています。
人格を高める、ということは、素晴らしくすぐれた人になる、人格者になる、ということですね。
それって、ものすごく難しそうです。
自分を極限まで磨くと言いますか、そういう厳しさが感じられます。
私が言っている「霊格を上げる」というのは、人格を高めるという意味ではありません。
というか、まったく違います。
人として完璧を目指す、ということではないのです。
霊格が高くなると、その人の「魂」は神仏という存在に近くなります。
距離が近づくのではありませんよ~。
その人の魂が、神仏という存在のようになっていく、ということです。
イメージとして、神棚、エアコン、天井などの、高い位置に神仏がいるとします。
神仏は存在自体が人間と違って素晴らしく、高級霊なので、高い場所にいるわけです。
人間は床に転がっている、豆粒です。
豆粒から見たら、神仏はえらい高いところにいて、ジャンプしたって到底届きません。
けれど、霊格が上がると、豆粒のいる位置が、床から少しづつ上に上がっていくのです。
床から3センチ、床から10センチ……30センチと、いる場所が、徐々に高くなっていき、上に近づいていきます。
霊格が上がるというのはこういうことなのです。
「魂のいる位置」が高くなるんですね。
ですから、霊格が上がりますよ、と私が言っているのは、人格者になりましょうね、と言っているのとは意味が違う、というわけです。
魂をピュアに保つと、位置が高くなっていきますからね~、という感じでしょうか。
人間ですから、誰もが、たまにはイライラすることがあると思います。
ンモー! と腹が立つ時もあるでしょう。
もちろん、私にもあります。
それがいけないと言っているのではなく、
できる時に人に親切にしてみる、できる範囲で人の役に立つことをしてみる、ありがとうをちゃんと言う、など、大事なのはそういうことなのです。
では、そうやって、霊格が上がって、魂の位置が高くなったら何がいいのか?
というわけで、次回はそこを書きます。