今日はいきなり結論から書きますね。
情報として知っていることは、遠慮なく、特別だと思っていいそうです。
はぁ? なんのこっちゃ? ですね。
これは私が、とある神様に言われた言葉です。
その神様はまったく知られていないのですが、すっごーーーく大きな力を持っています。
で、まあ、いろいろとあって、私が「こんなに目をかけてもらっても、よろしいのでしょうか?」と、遠慮がちに聞いたのです。
すると、神様は、この神様のことを知っている人がいないのだから、知っているということは、特別だと思っていい、そこに遠慮はいらない、と教えてくれました。
わかりやすく、具体的に説明をしますと……たとえば、牛頭天王です。
牛頭天王の持つパワーは強大だ! ということを知っている人がいます。
その牛頭天王が、津島神社にいることも知っています。
牛頭天王を笑わせたり、境内でしゃべりまくったりすると、目をかけてくれることも知っています。
で、津島神社に行って、しゃべくり倒したり、面白い話をして、そのおかげで何回も願いが叶うことは、遠慮しなくてもいいわけです。
知らない人は、ごく普通のご祭神がいる、フツーの神社としか思わないわけですから、普通に参拝をするだけです。
そこにある差と言いますか、神様を喜ばせる参拝ができるのは、知っている人の特権だと言っても、過言ではないように思います。
座敷わらしがいる神社だと知っていれば、その場所に行って、座敷わらしに話しかけることができます。
座敷わらしに気に入ってもらえると、定期的に訪問してもらえるようになります。
開運します。
知らなかったら、座敷わらしがいるところに行きませんし、行ったとしても、ただの木としか思わないわけです。
話しかけたりしません。
これも、知っているからこその恩恵です。
新潟には「福の神」がいるのですが、知らなければ、ここも普通の神社です。
けれど、知っていたら「にっこり!」して、神様に喜んでもらうことができます。(詳細は『あなたにいま必要な神様が見つかる本』に書いています)
喜んでもらえれば、ご加護をいただけますから、ありがたい「福」をもらえるわけです。
このように、「情報」を知っている。
その情報にもとづいた参拝をした。
それで、神様に特別なご加護をもらった、大きな恩恵をもらった……
それは、知っていたからこそ、ですから、特別に目をかけてもらったことを、恐縮しなくてもいいし、知らない人に悪いかな、と思わなくてもいい、というわけです。
神様は「喪」が苦手です。
仕事でついた喪でも、苦手とされています。
この「仕事の喪」が、一生、一切、つかなくなる方法を空海さんに聞いてきました。
4月21日発売です。