※前回の続きです。
阿南さんは、終戦時に自決をした陸軍大臣で、靖国神社に合祀されています。
靖国神社の資料館『遊就館』には、阿南さんの血に染まった遺書の複製などが置かれています。
詳しいことは『神社仏閣は宝の山』という本に書いたので省きますが、戦後70年もたっているのに(初めてお会いしたのは2015年です)、阿南さんは割腹自決時の苦痛のままであり、さらにご自身の過去について、ものすごく苦しんでいました。
自殺をするとは……そういうことなのです。
去年、靖国神社を参拝しました。
これは次回発売する新刊本の取材で行ったので、詳しいことは書けないため、自殺の供養に関する部分だけお伝えします。
新たに判明した、一番効果のある供養、自殺をした故人を助けてあげることができる供養は、「わかってあげる」ことです。
「え? なんだ、そんなこと?」と思われるかもしれませんが、ここ、非常に奥が深いです。
口で言うだけでなく、表面のみ軽~く理解をするのでもなく、心の底から、本気で、本人のことを「わかってあげる」……これが一番大事です。
自殺の原因について、たとえば、それがイジメだったとしたら……
どれほどひとりで悩んだのか、それはどのような日々であり、どんなにつらかったのか、悲しかったのか、などをしっかりと「本人の身になって」考えます。
そして、100%の理解を示します。
親だったらそこで、イジメた相手を憎く思うあまり、「あなたは悪くない、イジメた子が悪い」などと、つい言ってしまうと思います。
でも、「わかる」供養には、そのような感情はいらないのです。
逆に、成仏を妨げることになってしまうので注意します。
負の感情を混ぜてしまうと、理解も薄くなります。
さらに、死んでしまった本人にイジメた相手への憎しみを口にすると、本人に憎しみを思い出させる、憎しみを忘れさせないようにする、ということになります。
よくないです。
供養をする時は、イジメた相手のことは極力思い出さず、ひたすら本人の気持ちに寄り添います。
本人の当時の「気持ち」や「行動」について、理解を示します。
イジメた相手に対する憎しみは、供養をしていない時に爆発させればいいのです。
本人が、深い悲しみに耐えられなかった、だから死を選んだ……そこも「わかる」と、すべてを「肯定」します。
自殺は……してはいけないことです。
けれど、それを「してしまった」人への〝供養〟では「自殺を選択したことはわかる」と言ってあげます。
その時の本人の気持ちになれば、「つらくて耐えられなかったのだな」と理解ができると思います。
理解ができれば、嘘にはなりません。
とにかく、本人以上に、当時の状況や気持ちを「わかってあげる」「理解する」「肯定する」ことが重要なのです。
それをしっかり伝えます。
ここで、やってしまいがちなミスは、「気づかなくてごめんね」とか、「守ってあげられなくてごめんね」と謝ってしまうことです。
謝罪もいらないです。
謝ったりすると、「お母さんは悪くないよ、悪いのは私だから」「自殺をしてごめんなさい」というふうに、本人は罪悪感と後悔でいっぱいになります。
「お母さんを悲しませてしまった。ごめんなさい。ごめんなさい」と自分を責めると、ますますきつくとらわれてしまうのです。
ですから、遺族は謝ったり、いなくなって悲しいということを、言ったりしないようにします。
さて、こうして、「わかる」供養をすると、本人は「わかってくれた!」「間違っていなかった!」と、心をしばっていた自分の負の念から解放されます。
実は、自殺をした人は、死んだ直後から大変苦しいため、猛烈に後悔をしているのです。
苦しい、つらい、痛い、間違った選択だった、自殺なんてしなければよかった……
そういう自分の、強大な負のパワーで、自分をがんじがらめにしばっています。
しばられて動けないその状態は、自分にしか変えられません。
けれど、「痛い、苦しい、助けてー!」という苦しみの真っ只中ですから、なかなか考え方が変わらないのです。
この考え方を、やり方次第で(さきほど説明したように感情や謝罪を入れないようにします)、一瞬で変えてあげられるのが「わかる」供養です。
本人が気づけば、ブレイクスルーで、一気に心の呪縛が解けます。
もうひとつ、別の供養として写経があります。
※続きます。