神様がご縁を与えると、その神社にいる眷属が、ご縁を与えられた人の家を見まわりに行く……という神社があります。
しょっちゅうではなく、頻度としては時々ですが、巡回しているのです。
無事に過ごしているのか、悪いものに攻撃されていないか、確認しています。
ご縁に関係なく、願掛けの内容によっても見に行くことがあります。
見まわりですから、確認が済めば、次へ行きます。
しかし、まれ~~~~~~~~~~に、ですが、眷属がそのままずっとその家にいる、ということもあります。
神様の指示で、というパターンと、眷属が個人的に守りたいと思う人だから、というパターンのどちらかですが、その家に鎮座して、住んでいる人をずっと守っていきます。
この場合、縁起物を飾っていたら、縁起物に宿ります。
たとえば、家に、熊野本宮大社、玉置神社、飛瀧神社、神田明神、出雲大社の、5枚の絵馬を飾っていたとします。
この家に、玉置神社の眷属が来たら、玉置神社の絵馬に宿ります。
自分の神社の縁起物があれば、そこが一番居心地がいいからです。
この家に、もしも伊勢神宮の眷属が来たら……
自分の神社である伊勢神宮の縁起物がありません。
そうすると、あるものの中で一番居心地がいいものに宿るのです。
玉置神社の絵馬がいいな~、と思えば、ここに宿ります。
眷属が宿った絵馬は、なんとなくでもわかるようになります。
たとえば、他の4枚はまったく動いていないのに、玉置神社の絵馬だけが、ゆ~らゆ~らと揺れている、など普通にあります。
眷属が来てくれたのかも~、ということはわかると思います。
しかし……玉置神社の絵馬が揺れたからといって、玉置神社の眷属とは限りません。
伊勢神宮から来た眷属が、伊勢神宮の縁起物がないから、玉置神社の絵馬に宿っているかもしれないのです。
どこから来た眷属なのかは、本人に聞かなければわからないのです。
私の意見としましては……どの神社から来たのかということは、そんなに重要ではありません。
一番大切なことは、眷属が来てくれた、ということです。
どこの神社であっても、眷属が来てくれるのは特別であり、こんなにありがたいことはないのです。
神社に行ってお礼を言いたいのです、という方がおられるかもしれませんが、神社に行ってお礼を言うのはちょっと違います。
お礼は、来てくれた眷属ご本人に言うべきなので、絵馬に言えば十分です。
お礼を言うと眷属は、その家をますます大事に思ってくれて、しっかりと守ってくれます。