前回、お伝えした従妹の摩訶不思議な交通事故ですが、神様が助ける時は、常識では考えられないことが起こります。
ここで、「なぜ、神様は事故から遠ざけなかったの?」という疑問を持たれた方がいらっしゃると思います。
事故で無傷にするのではなく、事故に遭わないようにすればいいのに……と思われた方もおられるのではないでしょうか。
こちらは雪国にお住まいの方から、ずいぶん前にもらったメッセージですが、
ホワイトアウトになった時に事故ることが怖くて、ずっと「事故りませんように」と、神仏にお願いをしていたそうです。
それなのに、吹雪でホワイトアウトになった時に事故ったそうで……
「あれだけお願いをしたのに、聞いてもらえなかったのはどうして?」と、ものすごいショックを受けたそうです。
今まで参拝してきたどの神仏にもご縁をもらえていなかったのだろうかとか、信仰が足りないのだろうかとか、自分の何がよくないのだろうと、いろいろな方向で悩んでおられました。
その方は中央分離帯に積もっている雪の山に車をぶつけたそうです。
もちろんケガはなく、車も傷つかず……ですから、結局、「事故」にはなりませんでした。
ただ、ものすごい恐怖を味わったということで、なぜ、神仏は事故に遭わないようにしてくれなかったのか、お願いを聞いてくれなかったのか、と書かれていました。
中央分離帯の雪山にぶつかっている、ケガもまったくない、車も傷ついていない、他の車や歩行者も巻き込んでいない……
ということで、それは神仏に助けていただいているのではないでしょうか……と思いましたが、事故を起こした本人にすれば、起こさないようにしてほしかった、という気持ちが強いのもわかります。
実は、急にできた「魔」の落とし穴は、神仏でも消すことができません。
なんとか、そちらへ行かないようにしているのですが、気づかない人のほうが多いと思います。
その場合、骨折させてまで止めるのは、命の危険がある時です。
私が1回目の離婚をしてすぐの頃、両親、弟一家、私と息子で、時々1泊2日の旅行に行っていました。
ある時、旅行の途中で、転ぶ段差がないところで母が派手に転びました。
その時に腕を骨折したのです。
すぐに現地の病院に行き、手当てをしてもらって、そこからの予定はすべてキャンセルして、そのまま帰宅しました。
旅行を続けていたら大きな事故に遭っていたところ、そちらの方向に行かないことで止めてもらったのです。(あとから神様に確認しました)
父も弟も私も仕事をしていましたから、この3人は骨折させるわけにはいかない、と神様は考えたのだと思います。
子どもたちがまだ小学生だったことと、母の世話や病院の送り迎えができるように、弟のお嫁さんも骨折させるわけにはいきません。
結局、骨折をしても一番影響が少ない母が犠牲になったのですが、大きな「魔」に落ちるところを救ってくれたので、今でも本当に感謝しています。
下痢を起こして、それで時間をずらす……この程度で避けられる「魔」もあります。
しかし、そちらの方向に行かないようにしなければ落ちてしまう「魔」もあるのです。
骨折させたり、体調を悪くするよりも、事故を軽くするほうがダメージが少ない、と神様が判断すれば、事故は起こります。
でも、本来のダメージよりもはるかに軽くで済んでいます。
「私はケガをして入院しました」という方は、亡くなっていたかもしれないところを救ってもらっています。
神仏が助ける時は、最大限に助けているのです。
ですから、事故を起こした = ご縁をもらえていない、信仰が足りない、何か失礼をしている……のではないのですね。
従妹もそうですが、下痢などの体調不良では止められない場合、「魔」を避けるために起こすこと(骨折など)よりも、事故のほうが軽くて済む、そちらのほうが大きく救える、というパターンもあるのです。
※続きます。
4月22日発売です。
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