私の母は非常に信仰心の厚い人です。
今までの人生で神様に助けてもらったことが数多くあるからかもしれません。
子宮ガンにかかった時はお医者さんが本気で驚いたくらい初期に判明しました。
なので、抗がん剤も使用せず、放射線治療もせず、手術だけで完治したのです。
神様が守って下さった、神様のおかげ、と、今でも感謝をしています。
一昨年だったか、神棚にお供え物をしようとして椅子に乗り、そこで背伸びをしてバランスを崩し、椅子から派手に転げ落ちたことがあります。
その時にサッシにぶつかったため、体で窓ガラスを割り、思いっきり床に転落しました。
高さのある椅子ですし、下はフローリングです。
ガラスも粉々になって落ちています。
さらに、母は70代後半なのです。
けれど骨折もせず、ねんざや打ち身などもなく、すりむいたり、ガラスの破片でのケガもなく……無事でした。
こういう時、人によっては、神棚にお供え物をしようとしたのに転んだのはどうして? なんでこんなことになったのだろう? というふうに考え、
神様は機嫌が悪いのか、それとも嫌われたのか、お供え物が悪かったのか、と落ち込むように思います。
母は違うのです。
あれだけ派手に椅子から落ちたのに骨折をしなかった、ケガもしなかった、神様が守って下さった、ああ、ありがたい、と感謝をしていました。
こういう場合、何かと〝ぶつかる〟悪運時期だったということが考えられます。
通常だと車とぶつかって大ケガです。
もしも、そうなったら、高齢ですから、そのまま寝たきりになる可能性があります。
けれど、椅子から落ちて体をサッシや床にぶつけたことで、〝ぶつかる〟悪運が消滅しています。
車にぶつかるのも他のところにぶつかるのも、ぶつかることに変わりはないからです。
つまり、椅子から落ちて床にぶつかったほうが、断然軽くて済む、というわけです。
そんなことがあるのね〜、ということを、何となくでもわかっているのであれば、
神棚に〝お供え物をしていたのに〟椅子から落ちた……となっても、感謝のみになるのはわかります。
でも、母に霊能力はありませんから、悪運時期かもしれないということも、そのようにして神様が助けることがあるということも、まったく知らないのです。
それなのに椅子から落ちて感謝をしているのはすごいな、と思いました。
母は神棚の神様に100%の信頼を寄せており、心から敬い、大切にしています。
これだけ深く信仰をされれば、神様も一生懸命に守らずにはいられないだろうなぁ、というのが私の感想です。