門の左側から入るようになっています。

 

 

 

 

 

立っているのはマネキンと言いますか、ろう人形のような感じの人形です。

 

 

 

 

 

「庁舎」です。

歴史などの説明パネルコーナーと売店がありました。

 

 

 

 

 

職員の「官舎」です。

 

 

 

 

 

人形があって、このように暮らしていたのだな、とわかるようになっています。

 

 

 

 

 

台所です。

このあたりまでは普通に見学ができました。

 

 

 

 

 

官舎のあとに、「休泊所」という、受刑者が塀の外に出て日帰りできない作業をする場合に、寝泊まりをする仮小屋を見たのですが……

 

 

 

 

 

それがものすごく狭い小屋で、人形がリアルに作られており……

写真を撮るのはやめました。

 

 

 

 

 

こちらは畑で働く受刑者を再現した人形です。

 

 

 

 

 

旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所の建物です。

 

 

 

 

 

こちらですね。

なんとも言えない、重苦しい暗い「気」があります。

 

 

 

 

 

中には作業をする場所がいろいろとありました。

2階に上がれるのですが、床がすごくきしんで、妙に当時の現実感がありました。

 

 

 

 

 

人形があちこちに配置されています。

 

 

 

 

 

ここは食堂だったようです。

 

 

 

 

 

舎房もありました。

 

 

 

 

 

木が斜めになっているのは向かいの部屋が見えないように、だそうです。

 

 

 

 

 

真ん中に通路があり、左右に分かれていましたが、一直線に見るとこのような感じです。

 

 

 

 

 

その後、神社を見て、「舎房及び中央見張所」に来ました。

このあたりまで見学をすると、正直、かなりしんどかったです。

 

 

 

 

 

というのは、強烈に「念」が残っているのです。

受刑者の。

 

 

 

 

 

こちらは5棟の舎房が放射線状に広がっている建物でした。

 

 

 

 

 

最大700名を収容できたそうです。

 

 

 

 

 

この建物は、1984(昭和59)年まで使われていたそうです。

ドアはこのようになっています。

 

 

 

 

 

囲いは水洗になる前のトイレだったのでしょうか……。

 

 

 

 

 

雑居房の様子です。

 

 

 

 

 

こちらは独居房です。

 

 

 

 

 

どうして異常とも言える、これほどまでに強い「念」がこんなにこびりついているのか……

たぶん、刑務所だった時に、良くない悪霊みたいなものがたくさんいたと思われます。

 

 

 

 

 

このあたりでかなり調子が悪くなりました。

 

 

 

 

 

中央のパイプは暖房だそうです。

 

 

 

 

 

5棟全部は見れず、2棟と半分を見てギブアップしました。

感じたことをそのまま書くのはどうかと思いますので自粛しますが、影響を受ける人も多いのではないかと思いました。

 

 

 

 

 

出口に向かっていたら、外に独居房がありました。

 

 

 

 

 

これ以上は近寄ることができなかったです。

写真だけ撮りました。

 

 

 

 

 

こちらも……

 

 

 

 

 

近づけませんでした。

写真だけにしました。

 

 

 

 

 

入場する時にもらったリーフレットです。

 

 

 

 

 

網走監獄には神社があります。

神様がいるのだろうか……? と思って行ってみました。

 

 

 

 

 

説明によると、受刑者が大正2年に建てたそうです。

昭和40年頃までまつられていたそうです。

 

 

 

 

 

じゃあ、いないんじゃないかな、と思って近くまで行ってみたら……

 

 

 

 

 

ここで昔の受刑者の人が1体見えました。

うわぁ、やばい、と思い、くるりと向きを変えて立ち去りましたが、鳥居のところで、つい振り返ったら……。

 

 

 

 

その受刑者の霊がじーっと私を見つめているのです。

 

凶悪犯ではなく、いい人そうに見えたので、無視するのも悪いかなと、会釈をしたら、次の瞬間に私の隣りにいました。

 

どうやら大正時代の人のようです。

 

で、そのあと私について来るのです。

 

悪気なく、しかも得意げにそばにいるところを見ると、本人は神様になっているつもりのようでした。

 

「あの~? 神様には、なっておられませんよ?」と言うと、

 

「えええーっ! びっくり」と本気で驚いていました。

 

悪い人じゃないみたいです。

 

そこで、また確認のために、

 

「ええっ? 神様になってない?」と目を真ん丸にして聞くので、

 

「ええ。残念ですが、なっておられません」とお答えすると、不思議がっていました。

 

「どうしてなっていないんだろう?」

 

「あの? 一度、成仏しなければなれませんが?」

 

「へ? 成仏? どうやって?」

 

「光が見えていませんか?」

 

「あー、あるある!」

 

「そちらに向かって行かれるといいですよ」

 

そう言って、私は「舎房及び中央見張所」の中に入りました。

 

見学して建物からフラフラと出て来ると、その人はまだそこにいました。

 

で、光のほうへ行ってどうするのだ、と聞くのです。

 

詳しく話を聞くと、「向こうのほうに大きな光が見えている」と言います。

 

それは最初、ものすごく小さかったけれど、徐々に大きくなったそうです。

 

成仏する準備がずいぶん前に整っていたことを示しています。

 

そこで、その人は話題を変え、自分は刑務所にいたけれど、無実だった、ということを話し始めました。

 

内容は納得がいくもので、その人の性格や人間性からしても、本当だろうと思いました。

 

その人の話では、当時の自分のそばには、他にも無実だった人がいた、と言うのです。

 

詳しく聞くとなるほどと思える話で、もしかしたら、ですが、昔はそのような冤罪で入れられた人が、少なからずいたのかもしれません。

 

まったく悪い人じゃないのに刑務所に入れられて、苦しんでいるのを見て、そのような人を助けたいと思った、と言います。

 

で? 光に向かって歩いて? それから? と話が戻ったので、どうするのか、どうなるのかをできるだけ丁寧に、詳しく説明しました。

 

成仏をして、神様になりたかったら、そこから修行をするといいですよ、ということも付け加えました。

 

神様になれたら、全国の刑務所のどこかに、もしかしたらお社があるかもしれませんから、そちらに行かれてはいかがでしょう? ということも提案しました。

 

「苦しんでいる人を助けられると思います」と言うと、その人は目をキラキラさせて、「頑張ってみよう! ありがとう!」と言って、成仏していきました。

 

以上が、網走監獄での私の経験です。

 

強い「念」の影響を受けても、その場を去ってしまえば消滅します。

 

ですから、怖いところではありません。

 

ただ、気持ち的に引きずる可能性がありますので、行かれる方は心の準備などをしておいたほうがよいかなと思います。