堂崎教会は、長崎県五島市の「福江島」にあります。
駐車場から教会まで、ちょっぴり歩きます。
海が美しかったです~。
しめ縄が張られてもいいくらいの、パワーある石がありました。
この白いお花みたいなものは飾り? 夜間に車のライトを反射するもの? と、いろいろと考えましたが、何なのかは不明です。
満潮だったので、潮位が高くすごかったです。
こちらが堂崎教会です。
堂崎天主堂とも呼ばれています。
内部は撮影禁止となっています。
この写真のおかげで、こんな感じなんだ~、と祭壇のところだけは、わかってもらえると思います。
内部はいい感じに古くて、可愛らしい造りの教会でした。
小さくてコンパクトですが、素朴で安らげる感じなのです。
向こうに見えているのはキリストではなく、聖ヨハネ五島さんです。
教会の祭壇は、さきほどの写真でおわかりのように、十字架に架けられたキリストの像ではありませんでした。
彫刻されて、飾りもつけられている、木材で作られた祭壇なのです。
外国ではこのような祭壇をたまに見ますが、日本では珍しいかも? と思います。
この教会は博物館となっていますから、普通の教会と違ってお祈りをするための長椅子がなく、椅子がない分、内部はすべて展示スペースとなっています。
キリスト教が弾圧された時の貴重な資料も多く、いろいろなことを深く考えさせられます。
ざっと、どのようなものがあったのかと言いますと……
マリアさんを仏様のように作ってある聖母観音像、いろんな種類のロザリオ、キリストが描かれた掛け軸、服、書物、書簡、名簿、写真(明治以降)、刀のつばなどがありました。
もちろん、踏み絵もありました。
祭壇のところには、聖ヨハネ五島さんの遺骨もありました。(小さな2つの骨が大切に保管されていました)
五島さん(あとからお話を聞いたりするので、こう呼ばせていただきます)のイラストもあって、このイラストは外国の博物館に保管されているそうです。
五島さんは海外では有名だということです。
19歳という若さで、神父さんの代わりに名乗り出て、処刑されたみたいです。
う~、私の説明ではイマイチなので、「長崎県世界遺産課」のサイトから引用させていただきますね。
【日本二十六聖人の一人、聖ヨハネ五島は、五島のキリシタンの家に生まれた。
迫害が強まったため長崎★ながさき★に移り、12才の頃から長崎のセミナリヨや志岐(天草)のコレジヨで学んだ。
その後、スペイン人のモレホン神父に従って大阪に行き同宿していたが、秀吉による逮捕命令が出た際、自ら申し出て神父の身代わりとなった。
1597年、長崎・西坂の丘で処刑されたときは19歳の若さであった。】
(http://oratio.jp/p_column/manira-yohane)
さきほども言いましたように、お祈りする椅子がないので、というか、展示物でいっぱいのため、博物館で集中する……みたいな感じになってコンタクトが難しく……
五島さんに語りかけてみましたが、出てきてもらえませんでした。
でも、時々、ここに来ているような、そんな「気」は濃厚にあるのです。
しかし、本人が出てきてくれないため、ここでは何もわからず、展示品をじっくりと時間をかけて見せてもらいました。
この堂崎教会についての記録は、車の中に戻って、スマホに声で録音しました。
あとから聞くと、雨が降っていないのに、五島さんのことを話し始めた時から、バラバラバラと激しい雨音のようなものがずっと入っていました。
雨のような音は五島さんの記録の時だけでした。
「不思議なことがあるもんだ~」と思いましたが、五島さんとは長崎市の「二十六聖人殉教地」で会えて、その理由が判明しました。
というわけで、続きます。
質問にお答えできるのは、いつになるかわからない状況です。
大変申し訳ございません.
メッセージに個人的な返信も差し上げておりません~。
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