この時期になると、毎年必ず思うことがあります。

 

私だけの感覚だと思いますが、「桜は偉いな~」と感じます。

 

桜だけに限らず、冬の間の植物は、このように冷たい北風に震えながら寒さに耐えています。

 

 

 

 

 

時には、こんなふうに霧氷がついて、ブルブルと凍えているわけです。

 

 

 

 

 

こうして厳しい冬が過ぎ、つぼみがかすかにふくらみ始めた頃の桜の枝を見ると、

 

「桜って神様を信じて、疑っていないのだろうな~」と、いつも思います。

 

どんなに気温が低くても、枝に冷たい雪が積もっていても、

 

「神様は暖かい日差しを必ずくれる」と信じている……

 

だから、躊躇することなく、つぼみをふくらませ始める……

 

という、その桜の姿に、毎年自分を重ねています。

 

私が桜だったら、「神様は本当に暖かくしてくれるのだろうか?」

 

「日差しをいっぱい与えてくれるのだろうか?」

 

「ちゃんと雨を降らせてくれて、枯れないようにしてくれるだろうか?」

 

「大丈夫かな? 本当に咲ける日を与えてくれるのかな」

 

などと、いろいろ考えて、不安な日々を送りそうです。

 

春が来るまで、不安の中で過ごし、暖かくならなかったらどうしよう、雨が降らなかったらどうしよう……と、心配ばかりしていそうです。

 

けれど、桜はそんなことを考えずに、純粋に神様を信じて春を待っているわけです。

 

そこにあるのは、「今はまだ寒いけれど、もうすぐ春が来る~、早く、来ないかな~」というワクワクした期待と、明るい希望・未来であり、あれこれ不安材料を見つけて、モンモンと過ごす私とは大違いです。

 

そして、実際に春が来て開花する時、桜のほうは「やったー! 春が来た~、嬉しい~! 神様、ありがとう!」と喜びでいっぱいです。

 

けれど、神様を100%信じ切れていなかった私は、「ああ、よかった、春がちゃんと来てくれて……来てくれなかったらどうしようかと思った~」という、喜びよりも安堵の気持ちのほうが大きいわけですね。

 

不安が消えてやれやれ、みたいな。

 

開花時の、「桜」と「私」、この2つの気持ちには、大きな隔たりがあるように思います。

 

どんなに冬が厳しくても、たとえ3月になってから、なごり雪が降って冬に逆戻りしたようなお天気になったとしても、桜は神様を疑わずに、ただただ信じてじっと待ちます。

 

「偉大だなぁ」と私はこの時期の桜を見ると、いつもそう思います。

 

うじうじとあれこれ不安に思ったり、心配したり、あれがうまくいかない、これがうまくいかないとブーブー文句を言ったり、ああだこうだと悩む自分に、

 

「桜のように、もうちょっと神様を信じてもいいんじゃない?」と言い聞かせています。

 

 

 

 

 

 

上のつぼみが、開花の時期になると、このように喜びでいっぱいになります。

 

 

 

 

 

嬉しそうに咲いてるな~、とほっこりします。

 

 

 

 

 

毎年、桜のつぼみに学びをもらっています。

 

 

 

 

 

……ということは、1年たつうちに教えを忘れてるんですね~。

四季がある日本に生まれてよかった、としみじみ思います。 ニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

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