このブログについて、ちゃんとお断りをしておいたほうがいいのかな? と思ったので、ちょっと書いておきますね。

 

スピリチュアルな内容が主となっているブログですが、たま~に日記的なことを書くことがあります。

 

取材の報告とか、元夫や息子のお話とか、オシャレなランチとか(これはいまだに達成できておりませんがあせる)、いろんなことを書きたくて、タイトルを「ひっそりとスピリチュアルしています」から「さくら識日記」に変更しました。(ええ、そうなんです、一応〝日記〟なんですよ~)

 

ですので、そのようなコンセプトのブログなのね~、と思っていただけるとありがたいです。

 

スピリチュアルではない記事もたまにあります。ニコニコ

 

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「亡くなられる方を目の前にして、その方に、して差し上げられることは……何かあるのでしょうか?」という質問をいただきました。

 

医療関係者の方からです。

 

目の前で、亡くなっていく方を、ただ見ていることしかできないのだろうか……と苦悩されているご様子でした。

 

同じような悩みは介護職の方にも、看取りをするご家族の方にもあると思います。

 

いよいよという時、たとえば1日中、じっとそばでただ見守るしかできないのだろうか、という苦悩ですね。

 

人間はもうすぐあちらの世界に帰る、となると、体から魂が時々抜けます。

 

体から抜けて、親しかった人にお別れを言いに行ったり、お世話になった人に最後のご挨拶をしに行ったりします。

 

そのような状態にまでなると、体は眠っていても、意識がなくても、魂は肉体に話しかけられた言葉を聞いています。

 

しっかり理解しているのです。

 

認知症の方も、脳の働きと魂は別ですから、話しかけられたことは正しく理解しています。

 

亡くなりゆく方には、優しく耳もとでお話をしてあげるといいです。

 

お礼を言うことは、それはそれでとても大切です。

 

しかし、亡くなりゆく方には魂に話しかけているので、1回言えば本人の心にちゃんと届きます。

 

あちらの世界に帰ろうとしている魂は、たとえ1回きりでも、大事なことを言われれば、決して忘れたりしません。

 

繰り返し繰り返ししつこく言わなくても大丈夫なのですね。

 

私がご提案したいのは、あちらの世界に帰ろうとしている本人が、穏やかになる、安心できる、そういう言葉をかけてあげることです。

 

それが一番喜ばれます。

 

無宗教の人や、死後の世界はないと思っている人は、まだ亡くなっていませんから、意識は元気だった時のままです。

 

亡くなりつつある自分の状況がわかりません。

 

体が2つある(ように見える)、その状態を恐怖に感じている人や、わけがわからなくてパニックになっている人も中にはいます。

 

肉体は目をつぶって静かに横たわったままですから、見た目は静かに逝こうとしているように見えます。

 

しかし、〝魂の本人〟は、亡くなることをとても怖がっていて、周囲の人に抱きついたり、魂が体から抜けていることでパニックになってあちこち歩き回ったり、誰かれかまわず話かけている、泣き叫んでいる、そんな可能性があります。

 

そのような状態で逝かせるのは、非常にお気の毒です。

 

「体が2つあるように見えていても、心配しなくて大丈夫ですよ、魂の自分が肉体から離れているだけで、それが普通なんですよ~」

 

「亡くなることは怖いことではありませんからね」というふうに、本人が落ち着きを取り戻せるように、お話をするといいです。

 

亡くなったあとは、すでに亡くなっている親しい人に会えるお話や、体が楽に軽くなることとか、今よりもっと楽しい世界が待っているとか、そのようなことを教えてあげると、恐怖心がやわらいでいきます。

 

本人は「これから、何をどうしたらいいの?」とそこを不安に思っているかもしれないので、

 

「〝光〟が見えるんですって。その光に向かって行くといいそうですよ。なかったら探せば見つかるらしいですよ~」ということも言っておくと、その方が迷わずにすみます。(このお話は『神様、福運を招くコツはありますか?』という本に詳しく書いています)

 

このように、まず、本人が落ち着く、パニックにならない方向でお話をして、そのあとはごく普通に、相手が元気だった時のように話しかけてあげるといいです。

 

たとえば、「暖かくなってきましたね~。そこの公園では桃が咲いていましたよ。つくしももうそろそろですね~」という、季節のお話です。

 

聞いているその人は、その言葉から情景を頭に描いています。

 

天国のようなお花がいっぱいの春の野原を想像してみたり、自分の人生で桃の花を見た時のことを思い出したりするのです。

 

「そう言えば、幼い頃のひな祭りは戦時中だったけど、楽しかったな~」とか、

 

「子どもの頃は毎年つくしを採りに行ったなぁ、あの時は亡き姉も亡き母もいて一緒によく笑ったな~」とかです。

 

井戸端会議をするような、他愛ないお話もいいと思います。

 

「息子が昨日、ご飯を5杯も食べたんですよ~。おかずが足りなくて、最後はふりかけで食べてましたけどね~」とか、

 

「次のお休みに念願だった伊勢神宮に行くんです。今からドキドキしてるんです」などの、日常会話でも、

 

亡くなりつつある人はそこから「俺も若い頃はどんぶりで飯を食っていたな~」と考えたり、

 

「ああ、伊勢神宮ね、私も行ったことがあるわよ。素晴らしい神社だったわ~」というふうに、自分が歩んだ人生をとてもなつかしく、また愛おしく思い出します。

 

そのような、本人があたたかい気持ちになる、優しい心境になるようお手伝いをするといいと思います。

 

そうしてあげると、その方は、幸せな気持ちのままで、思い残すこともなく、頑張った人生をすっきりと終わりにして……穏やかに去っていかれます。

 

 

 

 

 

 

 

大変申し訳ございませんが、質問にお答えできるのは、いつになるかわからない状況です。あせる

メッセージに個人的な返信も差し上げておりません~。

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