※ページの都合で新刊本に入らなかった三井寺をご紹介致します。
三井寺は7世紀に創建され、9世紀に唐から帰国した智証大師円珍さんによって再興されたそうです。
【俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と呼ばれていたものを、後に智証大師が、当寺の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来します】
と、もらったリーフレットに書かれていました。
お寺は天台宗なのですが、10世紀頃から比叡山延暦寺の円仁さん派と対立し、抗争が激化して、比叡山の宗徒によって焼き討ちされたことがたびたびあった、とそのような歴史を持つお寺です。
仁王門から入ると、すぐに金堂があります。
この金堂がすごかったです!
ご本尊は秘仏ですから見ることはできませんが、ほかの仏様方のパワーがすごいのです。
力がある仏像や由緒ある仏像がたくさん安置されていました。
金堂内は入って左からぐるりと一周するようになっています。
中心部の内陣は拝観できないのですが、内陣を囲む壁に沿って仏様が安置されていて、間近で見られるようになっています。
入って最初に目に入るのが大黒天です。
室町時代だったように記憶していますが、私はうろ覚えの大天才ですから、違っているかもしれません。
大黒さんなのに顔が、仁王様? 四天王? というくらい怖く、左手に袋を握っていて、右手には如意棒を持っています。
切り株に見える場所に座ったお姿(半跏坐像)なのですが、床についているほうの足を、タムタムタムタム、と動かして鳴らしていました。
人間だったら、「もしかして、ちょっとイラついてます?」という雰囲気ですが、仏様ですから、人間とは違う感覚なのかもしれません。
ヒマだったら足を鳴らすとか、こっそり鼻歌を歌っていてリズムを取っていたとか、何か理由があるのかな~、と思いましたが、ただ単に、貧乏ゆすりしているだけだったりして……とも思いました。
貧乏ゆすりをしている大黒さん……う~ん、なんだか楽しいです。
目が玉眼なのできっついお顔なのですが、妙に気になる仏像です。
先へ進んでもなんだか気になって戻り、もう十分見たからいいやと、また先へ行っても、やっぱりもう1回見よう、というふうに3〜4回戻って見ました。
去りがたい気持ちにさせる何かがあるのです。
で、まじまじと大黒さんが手にしている如意棒を観察していたら、
「お前も持っているではないか」と、言われました。
「はい、借りているんです。でも、この棒って、別の使い方がありますよね?」
「うむ」
「やっぱりそうなんだ……」
なおもしつこく観察していると、ジロリと見られました。
「自分のものを使え」
それ以上は話をしてくれないので、先へと進みました。
あ〜、でもっ! もうちょっとお話したい! と、またまた戻ったら……。
大黒さんに、「コラコラ」みたいな感じで、伸ばした棒でコンコンと頭を軽く叩かれました。
それがなんだか妙に嬉しかったです。
顔は怖いのですが、ちょっとお茶目なところがあります。
大黒さんの横には、閻魔大王とか、毘沙門天、お地蔵さんなどが並んでいました。
次におすすめなのが、「宝冠釈迦如来坐像」です。
内陣の裏側に座っています。
宝冠と名前についていますが、派手な冠をかぶっているのではありません。
どちらかというと、質素な仏像です。
このお釈迦様はものすごく細い目をしています。
細い目なのに、目の前にいる人物を見て目が動きます。
私が右に行けば右に、左に行けば左に目が動き、その視線を通して仏様の「気」をくれるのです。
「ああ、見てくれてるんだ〜」と思うと、ホッとするような安心するような、実際に心に作用する癒やしもくれます。
光背の火がボーボーと本当に燃えているような、立像の不動明王像もありました。
昔は強かったのだろうな〜、というお不動さんです。
今はどちらかと言うと、優しいお不動さんになっています。
火焔光背が立体的に作られていて、すごいな! と目を見張る、迫力満点の仏像です。
最後の側面エリアには、江戸時代の阿弥陀如来の坐像があります!!
おっと、興奮してビックリマークをつけてしまいましたが、この阿弥陀様のお顔が極楽のように美しいのです。
作った仏師はすごいと思います。
このような美しい仏様がいる極楽浄土に行けるんだ〜、と思うと、待ち遠しくなるくらいです、いや、本当に。
優美な整ったお顔って、人を感動させるのだな、と思った仏様です。
ほかにも道が繋がっている仏像があり、それを至近距離で見せてもらえるため、コンタクトがしやすくなっていました。
たくさんの仏様に良い波動をいただいて、お話もできますし、ウキウキと楽しい気分になれます。
金堂を出てからもしばらく高揚した状態が続いていました。
それほど良い仏像が揃っています。
時間をかけてじっくり見ることをおすすめします。
「閼伽井屋」は、さきほど書いた霊泉です。
泉を守る建物は1600年の建立で、正面上部にある龍の彫刻は、左甚五郎作だそうです。
天智・天武・持統と、3人の天皇の産湯に使われた泉ですから、張り切って見に行きました。
正直な感想は「えっ? こんな水を? 生まれたばかりの天皇に?」です。
でも、これは1000年以上前のお話ですから、当時は澄んだ清い水が流れていたのかもしれません。
左甚五郎の龍は遠くて細部まで見えません。
リーフレットで見ると細かい彫刻で、力強い龍が表現されています。
魂が入っていると考えられるのもわかる、という龍です。
しかし、自分の目で実際に見ると、遠いので小さく、とりあえず左甚五郎作の龍を見た、ということで満足しました。
一切経蔵が予想外に良かったです。
あちこちのお寺で経蔵はもちろん見たことはありますが、すべて外観だけの見学でした。
なんとなく、お経がいっぱいあるのね〜、というのが経蔵のイメージです。
大事なお経を入れている蔵なので、見せてもらえないのは当たり前だと思っていました。
それが、ここ三井寺は見せてくれるのです。
太っ腹です。
お堂の中には「八角輪蔵」という回転式のお経を収めるものがあります。
八角形の巨大な筒みたいなものに、棚が作られていて、そこにブリキ缶のような四角い入れ物が整然と並べられています。
ブリキ缶のようなものは箱型ですからフタ付きです。
昔なつかし、ブリキの衣装ケースの小さいもの、と思ってもらえると近いです。
お経ってこんなふうに収められているんだ、と初めて見る光景にワクワクしました。
そして、もっと驚いたのが、紙のお経が収めてあるだけのお堂なのに、パワーが充満していたことです。
お経自体が持つパワーなのです。
うわ~、お経にはやっぱりすごい力があるのだな、と実感しました。
お堂の中、見えるところには仏像が1体も置かれていないのに、誰も読経などしていないのに、ただそこに書かれた紙のお経があるだけなのに、パワーがあふれているのです。
(園城寺のホームページを見ると、【天井から 円空仏七体が発見されています】と書かれているので、今も天井に仏像が置かれているのかもしれません)
経蔵の中は高波動でした。
三井寺の境内は広いのでゆっくりしていたら、観音堂は閉まるギリギリの時間の到着となり、ご挨拶だけで出ました。
微妙寺や晩鐘など見どころがたくさんあるお寺です。
私のイチオシは金堂と一切経蔵でした。
仁王門です。
これぞ仁王様! という雰囲気ですね。
迫力があります。
金堂の手間にある石段です。
木が思いっきり腕を伸ばしていました。
上から撮ってみると、こんな感じです。
剪定されていないところが素敵です。
金堂の正面になります。
このお寺はとても親切で、ほぼすべてのお堂の前に説明版がありました。
このようにお堂の説明がしてあって、
中の様子をちょっと見せてくれているのです。
(内部は撮影禁止です)
黄色い丸をつけているのが大黒さんです。
こちらが経蔵の八角輪蔵です。
ものすごく大きなサイズでした。
一切経蔵と、閼伽井屋の外観は、撮影していないので、こちらのリーフレットでご確認下さい。
イラストと同じような建物でした。
左甚五郎の龍です。
閼伽井屋のこの格子の隙間から撮影をすると、
若干、水が澱んだ霊泉がありました。
弁慶の引き摺り鐘、というのも、霊鐘堂にあります。
境内が広いので全部を拝観するのには時間がかかります。
美しい景色があちこちにありました。
観音堂は少し高い位置にあるので、石段を登ります。
西国十四番札所の観音堂です。
予想以上に見どころがあるお寺ですから、時間に余裕を持って行かれたほうがいいと思います。
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