※先にお断りしておきますが、これから書くことは「神道」という宗教での「喪」の考え方とは異なっていると思います。
個人的見解であることをご理解いただいた上でお読み下さいますようお願い申し上げます。
先月、従妹から質問をされて、「ああ、そうか、たしかにそこは微妙でわかりづらいかも?」と思ったので、ブログでも書いておこうと思います。
神棚の「忌明け(いみあけ)」についてです。
忌明けとは、誰かが亡くなって「喪」に服し、その「喪」が明ける日のことを言います。
神棚に限らず、神社に参拝してももう大丈夫、失礼ではありません、というのも同じ日になります。
従妹から、仏教でいう49日の2日前にメールが来たのですが、「神棚を目隠ししている半紙は、49日の日に外せばいいんだよね?」という質問でした。
神棚の忌明けの〝日数〟は、仏教と同じく49日です。
『 “識子流”ごりやく参拝マナー手帖 』という本にも書いているのですが、同じ日数でも、神様の場合は、仏教とは数え方が違います。
仏教の49日は、〝亡くなった日〟を1日目として、そこから数えていきます。
しかし、神様の場合は、最後に〝ご遺体に接した日〟(ほとんどの場合、葬儀の日になるかと思います)の〝翌日〟を1日目として、そこから数えていきます。
ですから、仏教でいう49日より長くなるのが普通です。
たとえば……亡くなった日がお通夜、翌日がお葬式だとすると、
仏教では亡くなったお通夜の日が1日目、お葬式の日は2日目、お葬式の翌日は「3日目」になります。
けれど、神様の場合、ご遺体に接している間はカウントしませんから、お葬式の翌日が「1日目」です。
つまり、このパターンだと、2日ほど差があるわけです。
したがって、仏教の数え方に合わせてしまうと、神様はちょっとだけ「喪」に接してしまう、というわけなのです。
従妹の話では、叔母が「神様が息苦しそう」と言って、早めに半紙を取ろうとする、とのことでした。
お社の前面に半紙を貼った目隠し状態なので、早く半紙を取ってあげたいという気持ちになる方が多いと思いますが、でも、神様にとっては「喪」にふれるより、半紙で目隠しをされているほうが断然マシなのです。
というか、「喪」が明けるまで目隠しは取らないでほしい、と思っておられるので、息苦しいかも? という心配はしなくても大丈夫です。
ちなみに、神棚にお塩をあげたり、お水をあげたりすることも「喪」の間は一切しません。
「喪」がついたお塩、「喪」がついたお水、「喪」がついた榊を、神聖な神棚にあげることになるからです。
目隠しをしている意味がなくなってしまいます。
神様は何もお供えがなくても、困ることはありませんし、パワーが落ちることもないです。
「喪」の間は、お供え物をされるほうが、神様にとってはしんどい状態になりますので、ご注意下さい。
お社を半紙で目隠しをする時は、お社の扉もしっかりと閉めておきます。
神社に参拝する時も、神棚の忌明けと同じです。
〝神様の数え方〟で、49日目の太陽が昇ってから参拝をします。
「流産は「喪」になりますか?」という質問をいただいたことがありますが、まだこの世に生まれていないので、「喪」にはなりません。
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大変申し訳ございませんが、質問が非常に多く届いておりまして、お答えするのは、いつになるかわからない状態です。
メッセージに個人的な返信は差し上げておりませんし、ブログにお誘いいただいてもペタやいいねをつけることはご遠慮させてもらっています。
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