山岳系の神様に会いに行こう! と思って、山を登っていたら、ゴミが目についた……。

 

ンモー、なんで神聖な山にペットボトルとか、食べ物の包み紙を平気で捨てるかなー、信じられない! と、思われた方は多いのではないでしょうか。

 

私はいつもリュックにレジ袋を1枚入れていて、下山途中で目についたゴミを拾っています。

 

ここで、「あれ? ゴミについている土や小さな葉っぱは? 山のものだから持ち帰ってはいけないのでは?」と、そこを疑問に思われた方がおられるかもしれません。

 

ゴミを拾うというのは、「咲いているお花がキレイだからもらって帰っちゃおーっと」と、花を折って持ち帰る、

 

「落ちている石がパワーありそう! 運気が上がるかもしれないから、もらって帰ろーっと」と、石を持ち帰るパターンとは明らかに違います。

 

今、書いたようなことは、してはいけないのですが、ゴミに関しては別です。

 

たとえば、神様がいる神聖な山なのに、ペットボトルや空き缶や食べ物の包装フィルムのようなものがたくさん山道に落ちている、

 

山道の両側がゴミ屋敷のよう……と想像をしていただくと、それを取り除くことがいかに大切かがおわかりいただけると思います。

 

拾ったゴミに土がついていても、葉っぱがついていても、お掃除をするほうが尊い行為ですから、眷属も何も言いません。

 

というか、汚れたゴミを拾うという行為を嫌がらずにしてくれた、ということで「ありがとう」と思ってもらえます。

 

ゴミを拾うか拾わないか……ここは人間側の〝自由〟ですから、たとえ拾わなくても怒られたりしません。

 

神仏に対しても、自分が捨てたゴミではありませんから、拾わなくても失礼ではないのです。

 

汚いから拾うのが嫌だな、と思っても、「拾う」「拾わない」の、どちらを選ぶのかは自由ですから、そこは気を使わなくても大丈夫、というわけです。

 

そのような「人間の自由」を、神仏はよーくご存知です。

 

「拾ってくれる」人は貴重であり、ありがたいと思って下さいます。

 

少し土がついていたり、葉っぱがついていたくらいで「ンモー」なんて、絶対に思わないのです。

 

小さなお社・お堂は、そこにホウキがあれば、「周辺」をお掃除をして差し上げると、とても喜んでもらえるお話を本に書きました。

 

山岳系の神様の場合は、その「周辺」が山全体になりますから、ゴミを拾うことはとても喜んでもらえます。

 

※ちなみに、子どもさんが悪気なく拾ったドングリなども心配いりません。照れ

 

 

 

 

 

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