前回書いた男性の人生のほかに、もうひとつ思い出したのは、女性の人生です。

 

この人生を思い出すことによって、いろいろと学びがありました。

 

こちらは本当にざっとお話をしますと……。

 

当時の私は、フランスのアルザス地方に近いところに住んでいました。

 

この時の私は37歳、姑、夫、娘2人(10~12歳くらい)の5人家族で暮らしていました。

 

この家は大金を持っている姑の力が一番強く、お金は姑ががっちり握って管理していました。

 

私は姑に嫌われていて、結婚当初から完全に下女扱いです。

 

最初は悲しくて泣いたりしていました。

 

しかし、ひどい仕打ちをされ続け、それに耐えて生きるには感情を殺すしか方法がありません。

 

私は徐々に感情のない人間となり、10年もすると、無気力に、ただ生きているだけの人物になりました。

 

無口な夫との会話はゼロで、愛情はとうの昔に冷めています。

 

娘2人は姑に可愛がられており、洋服なども新しいものを買ってもらっています。

 

けれど、私は服を新調してもらえません。

 

一家で私だけが古めかしいボロい洋服を着ていて、着替えもほとんど持っていなかったため、私だけがクサかったです。

 

姑は威張っていて、いつも特等席である窓際の、ちょっといい椅子に座っていました。

 

着ているものも高級品でいいものです。

 

結婚をする前の私は、明るくて元気な女性で、夢を持って生きていました。

 

常に前向きで、胸を張っており、よく笑う人だったのです。

 

結婚をして10年以上が経過したこの頃は、生きる屍(しかばね)のようになっていて、「嬉しい」「楽しい」などの感情がまったくありません。

 

笑ったのは、もう何年も前の話で、今はただ息をしているだけ、家族の世話をするだけ、そんな日々でした。

 

心の病にかかっていたのかもしれません。

 

ある日、外から戻ってくると、姑が椅子から落ちて倒れています。

 

心が果てしなく沈んだ状態で、感情がありませんから、「大変だ!」とも「大丈夫?」とも思いませんでした。

 

倒れている、その光景を見ているだけです。

 

そばに行くと、姑がわずかに動いたように見えました。

 

でも私は、自分がどうするべきなのか考えることができず、ただ突っ立って見ていました。

 

ただ目の前の状況をぼーっと見ているだけでした。

 

姑はそのまま亡くなりました。

 

この出来事は、終生私を苦しめました。

 

理由は、見殺しにしたのではないか、という自分を責める気持ちです。

 

この人生を思い出したことで……

 

今でも、この人物に入り込むと、ぎゅーっと心臓をつかまれたような、苦しくてつらくてたまらない気持ちになります。

 

*~*~*~*~*~*~*~*~

 

過去世を思い出したいという人は多いと思います。

 

過去世を思い出すことによって、得るものはたしかにあります。

 

「この人生でやった失敗は二度とするまい」という、学びを得ることができますし、過去世で傷ついた魂のトラウマなども解放できます。

 

今世で知っている人を過去世の中に見つければ、縁の深さがわかります。

 

しかし、それは「俯瞰で見た」場合のことです。

 

第三者の目で、上から見ているようにして過去世を思い出すと、ダメージはあまり受けません。

 

でも、その人物に入り込んで、その人物の目と現在の自分の目を重ね、そこから見た過去世、となるとそうもいかないのです。

 

明るく楽しいことだらけ、悲しいことも苦しいことも一切ありませんでした! という人生は存在しません。

 

過去世もひとつの人生ですから、そこには苦しいこと、つらいこと、思い出したくないこと、再体験したくないことなどがあります。

 

たとえば、戦さで、目の前で親を惨殺されたとか、

 

逆に、親分に命令されて仕方なく、謀反をした武将の子どもの首を刎ねたとか、

 

思い出しただけで魂に傷がつくような、そんなつらい体験が過去世にあったりするのです。

 

現在は、せっかく時を超えて生まれ変わり、まっさらのゼロからスタートした人生です。

 

生まれ変わっているということは、あちらの世界でいろんな償いも反省も、心の傷のメンテナンスも、すでに終えているわけです。

 

もう1回、同じことで苦しむ必要はありません。

 

私は以前、「どうして人間は、過去世の記憶を持って生まれてこないのだろう」と思っていました。

 

魂の軌跡である過去世の記憶を全部持っていれば、同じ失敗を繰り返さなくてすむし、カルマがあればカルマとわかるので乗り越えやすいのではないか、と思っていたのです。

 

今回わかったのは、過去世の記憶を持たずに生まれてくることは、天の……絶対神の思いやりである、ということです。

 

人生にはつらいこと、苦しいこと、悲しいこと、自分を「情けないやつ」と悔やむことなどが、たくさんあります。

 

特別に幸せな人もいるのかもしれませんが、人間は日々、あれこれ悩み、ストレスにさらされて生きています。

 

今世の人生だけでも、悩みもストレスもつらいことも、てんこ盛りなわけです。

 

過去世の記憶を鮮明に持っていたら、そのうえに、さらに過去の人生での後悔、苦しみ、悲しみも背負わなければなりません。

 

背負いすぎ、になるのです。

 

そんなにつらい思いはしなくてもいい、新しい人生なのだから過去は忘れて楽しく生きなさい、ということで、過去世の記憶はあちらの世界に置いてきています。

 

それは大変ありがたいことなのですね。

 

私は、いくつもの過去世を思い出したことで、トラウマから解放されたり、こういうふうに生きてはいけないなどの学びを得ることができました。

 

ですから、思い出すこと自体はマイナスではありません。

 

上手に活用すればオーケーです。

 

上手に活用できるようにするには、前世のその人物に入り込んで、その人物の目から見たことを思い出すのではなく、第三者として「俯瞰で」思い出すようにします。

 

学びだけを受け取れるようにすると、過去世の記憶は役に立つこともあります。

 

最後に……。

 

さきほどの女性の人生を終えた時に、私はこう思いました。

 

「〝希望〟をいつも手のひらに握っていないと、人間は精気を失うのだな」

 

精気を失ってしまうと生きる屍になる、ということを、この人生で学びました。

 

どんな状態になっても〝希望〟だけは手のひらにガッチリ握って放さないぞ〜、と悲惨な人生でしたが、学びはしっかりと受け取って、今世に活かしています。照れ

 

 

 

 

 

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