最近、前世の話をまったく書いておりませんでしたが、2つほどくっきりと思い出しています。

 

どちらもヨーロッパの古い時代のことで、ひとつは男性としての人生でした。

 

ざっと大まかにお話をしますと、そこそこ身分が高い家に生まれた私は、ウィルヘルムかヴィルヘルムという名でした。

 

住んでいたのは石畳が敷かれていた街で、郊外の田舎とかそのようなところではありません。

 

私は男ですが、白いタイツのようなものを履き、現代だったら完全に女性用というおしゃれな革靴を履いて、膝丈のスボン、おへそのあたりまで開いた変わったデザインの上着に(下のほうでボタンが4つのダブルになっています)、上着の下はフリフリのフリルがついたシャツを着ていました。

 

おへそのあたりまで開いた上着なので、フリフリのフリルが見えるようになっているのです。

 

上着とズボンはお揃いの生地であつらえていて、同じ生地の帽子をかぶっています。

 

髪は濃い色で、イタリア系の顔をしています。

 

父は金髪碧眼、母がイタリア系で、妹は5~6歳年が離れていますが、金髪に青い目の可愛らしい子です。

 

家族4人は召使い数名と仲良く暮らしています。

 

両親は私と妹を溺愛していました。

 

私は画家として活躍していて、油絵を描いていました。

 

大きな絵が売れて、依頼が次々に舞い込み、喜んでいます。

 

才能が認められたのだと思っていました。

 

貴族の家に肖像画を描きに行ったりもします。

 

中にはとても美しい女性がいて、話もはずんでワクワクしましたが、それ以上発展はしませんでした。

 

私が内気なせいです。

 

ある日、ライバルともいえる男に、私の絵は両親のコネで売れているのだ、才能ではない、と言われました。

 

その証拠となるような具体的な話をされます。

 

私は自宅に戻ると、怒り狂ってカンバスを切り裂いたり、テーブルの上のものを床に投げたり、壁に投げたり、大暴れをしました。

 

普段は気弱な優しい性格なので、暴れる私を初めて見た両親は、ただただおろおろしていました。

 

両親はすでに年老いていて背中も曲がり、そんな姿でおろおろしていることが悲しさに拍車をかけます。

 

妹はすでに結婚していて家にはいません。

 

私は号泣します。

 

ライバルに言われたこと、依頼があったのは才能ではなかったこと、親のコネを知らずにいた情けない自分、などが悲しくて悔しくてたまりません。

 

絵は、両親が知り合いの貴族に〝頼んで〟買ってもらっており、本当にコネで売れていたのです。

 

貴族の家に肖像画を描きに行くことに関しては、私の身元がたしかだから安心できる、という理由でした。

 

才能ではなかった、ということが情けないし、悔しいし、悲しかったです。

 

この事実をライバルから聞いた、という屈辱も耐え難かったです。

 

しかし……両親に悪気はなく、私のことを愛するがゆえにやったことです。

 

両親のことが大好きだった私は、大暴れしましたが、その理由を両親には明かしませんでした。

 

結局、その後も、コネで頼まれた絵を描く日々を送りました。

 

この出来事からは、淡々と生きた人生でした。

 

53歳の時、寝る前にベッドで本を読んでいたら、急に気分が悪くなりました。

 

本をサイドテーブルに置き、ベッドに入り直したところで、心筋梗塞になりました。

 

痛くて苦しくて……そのまま死にました。

 

肉体を離れ、横向きのポーズで死んでいる自分を見て、「子どものままだったな~」と思いました。

 

精神的に成長していなくて、親の庇護から抜け出そうとしなかった人生です。

(ここには書きませんが、そのようなエピソードがいくつもあります)

 

性格が穏やかで柔らかく、優しい人だったので、親の愛情が痛いほどわかり、親を悲しませたくない……それを最優先にして生きていました。

 

親に遠慮をして、親のために生きた人生だったのです。

 

新たに思い出したもう1つの人生は女性です。

 

それを思い出したことにより、人間はなぜ前世記憶を持たないまま生まれてくるのか、がわかりました。

 

※続きます。

 

 

 

 

 

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