規模が大きい神社の場合、ほとんどの神社に摂社末社があります。
あちこちに書いておりますが、私は境内社には手を合わせないことが多いです。
去年、雑誌のブルータスさんの取材で江島神社に行きました。
私はいつものペースでサクサク進み、ここは外せないというところをご紹介していたのですが、ご一緒した方がニコニコしながら言いました。
「桜井さん、豪快に飛ばすんですね!」
「えっ!」
一瞬、意味がわかりませんでした。
「摂社や末社は飛ばしてもいいんだ~、ってわかりました」
「えええっ! 今まで飛ばしてはいけないって思ってたんですか」
「なんだか悪いような気がして……全部、手を合わせていました」
ひ~~~え~~~!
それって、ものすごーく大変なのでは! と思いました。
律儀な方、礼儀正しい方は、失礼になると思われるのでしょう。
あ、優しい方も、悪いわ~と思われるのでしょうが、飛ばしていいです。
境内社に手を合わせないから、と失礼になることはありませんし、叱られることもありません。
それと、たとえば5社ある境内社のうち、2社だけに手を合わせたら、残りの3社に失礼なのかというと、これもそうではありません。
どのお社に手を合わせるのかは、人間に与えられた信仰の自由がありますから、自分で決めていいのです。
「湊川神社にあるお稲荷さんについて教えて下さい」というメッセージを何通もいただくのですが、すみません、手を合わせたことがないです。
えええええーっ! あんなに目立つお稲荷さんなのに? いいんですかっ! と驚か
れそうですが、ええ、大丈夫です。
湊川神社では正成さん神様としっかりお話をしたいので、そちらを優先しています。
同じように、たくさんある境内社のどれか1社だけにお供え物をするのも、まったく構いません。
長屋のような横に長いお社に、境内社が5社くらい並んでいるところがありますが、この中の1社にだけお供え物をしても、全然問題ないのです。
信仰は自由であることを神様も眷属も知っていますから、不愉快になることも、不機嫌になることもありません。
京都の北野天満宮には多くの境内社があります。
しかし、それを全部すっ飛ばして、さらにメインである本殿の神様も飛ばして、文子さんだけに手を合わせる、文子さんだけを信仰する、というのもオーケーです。
吉野山の金峯山寺蔵王堂には多くの仏様がいらっしゃいます。
私がここのご本尊に手を合わせたのは、10回以上行ったうちの、3回くらいかなぁ、という程度です。
いつも全部すっ飛ばして、自分がご縁をいただいている大好きなお不動さん(「木像蔵王権現立像」という仏像です。どうして権現様がお不動さん? と思われた方、詳しくは【山の神様からこっそりうかがった幸運を呼び込むツボ】に書いています)のところに行き、手を合わせています。
お不動さんの前には長くいて、波動をいただいたり、お話をしています。
これも、他の仏様に失礼ということはありませんし、もちろん、叱られたりもしないです。
私がそのお不動さんのことを大好き! と思っていることを他の仏様も知っているからです。
そこには信仰の自由がありますから、どなたも何もおっしゃいません。
というか、大好き丸出しですごい勢いでお不動さんのところに行く私を、微笑ましく見ているようです。
どの神様を信仰するのか、どの仏様を信仰するのか、そこには信仰の自由がありますから、神仏に遠慮はいりませんよ、というお話でした。
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