私のうちに、2回ほど座敷わらしが遊びに来ました。
京都の座敷わらしの、女の子です。
我が家には、お稲荷さんが来たり、たま~に牛頭天王の眷属が来たり、縁起物がたくさんあったりするため、座敷わらしにとって、とても興味のある家のようです。
それで見に来たみたいですが、文字通り、遊びに来ただけですから、ずっと滞在しているわけではありません。
その座敷わらしですが、来ていた時にどこに宿っていたかと言いますと……この置物です。
ひとめ見てわかるように、左側の木像です。
この木像は今年の2月に、神社で買ったばかりの新しいものです。
購入した時は左の木像も右と同じ色をしていて、白っぽかったです。
白っぽいと威厳がないな~、などと失礼なことを考えたのでよく覚えています。
その白木の像が、座敷わらしが宿っただけで、この変化です。
精霊の存在はやっぱりすごいですね。
今回、座敷わらしが実際にうちにきてくれたおかげで、わかったことがあります。
もしかしたら、全国の人にこれを伝えてほしくて、それで座敷わらしの代表の子が我が家に来たのかもしれない、と思っています。
新たに判明したのは、座敷わらしも牛頭天王と同じく、〝独立した場所〟を好む、ということです。
座敷わらしの女の子は来てすぐに、周辺にあった縁起物を、手でバサバサーッとよけて落とそうとしたり、蹴散らしたりしていました。
自分がいるスペースは広々と確保しておきたいみたいです。
この時、お稲荷さんが眷属とともに、たまたま来ていて絵馬に宿っていたのですが、「こりゃ、かなわん、場所を移動してくれ」と、困った様子で言うので、絵馬は別の場所に移しました。
近くにあった縁起物もすべて移動しました。
ついでに言っておきますと、お稲荷さんが家に来てくれたからと言って、私と会話をすることはありません。
来て、しばらく居て……気がつくと帰っています。
お稲荷さんと眷属は、私と話をするために来るわけではなく、私を守ったり、なにか良い方向に導くために来ています。
(本来の居場所から出かけていて、お仕事の一環として立ち寄った、という感じですから、屋敷神として家の神棚にいてくれる優しい神様とは雰囲気が違います)
ですから、そのようなお仕事の最中に、私が自分の家の神様のような気分でベラベラしゃべりかけるのは……ちょっと違う、というわけです。
お稲荷さんの都合で来て、お稲荷さんの都合で帰るのを、私は「あ、来られてるな~」と、黙って見るだけです。
家に来られた時は、そういう感じなのに、「場所を移動してくれ」と声をかけてきたので、ビックリしました。
よほど、「かなわんなー、こりゃ」と思われたのだと思います。
そしてこちらが移動したお稲荷さん用の絵馬です。
熊手に引っ掛けています。
「えっ! 熊手! 熊手って、壁に掛けなくていいんですか?」
というのが皆様の疑問に思うところだと思いますが、ここでも大丈夫でした。
識子さん……でも、そこ……冷蔵庫なのでは……
と思われた方、そうなんです。
冷蔵庫を利用して掛けています。
絵馬は完全に私の頭の上になるので、冷蔵庫を開ける時も息がかかったりしませんから、ここでも問題ありませんでした。
さて、今回の宿るもののお話で、一番お伝えしたいことは何かと言いますと、神仏関係が宿るのはこういうものである、ということです。
我が家には、ぬいぐるみもあります。
テッドとキイロイトリです。
コメディ洋画好きな私に、元夫が何年か前の誕生日にプレゼントしてくれました。
キイロイトリは元夫の趣味です。(大好きみたいです (^_^;) )
あ、いや、言いたいのはそこじゃなくて……家にぬいぐるみがあっても、たとえ高い位置に置いていてさわらなくても、神仏関係の存在はこのようなものには宿らない、ということです。
幸運を逃さないために、あらかじめ宿る場所を作っておきましょう、ということを『神様が教えてくれた金運のはなし』という本に書いたのですが、これでイメージ的にどんなものかということがおわかりいただけたかな~、と思います。
他にも置物系の縁起物、もしくは壁に掛けるタイプの縁起物、変わったところでは銅鏡などでもOKです。
※というわけで、宿りもののお話、もう1回続きます。
ガラケーの方、記事はここで終わりではなく、まだこの下にも写真などを貼っております~。
セドナの教会で買った、アメリカの縁起物「 Tooth Angel Bear 」。
可愛いので載せてみました。
クリックをするとユーチューブで曲が再生されます。
天から聞こえるメロディを曲にしています。