ノロの認定を取り消してもらったあと、海岸を歩きながら代表の女性と少しお話をしました。
そこで「どうして、多くの人が霊のままなのですか?」と質問をしてみました。
南の島の人々は信仰の違いで、もともと〝成仏する〟という考えをほとんど持っていなかったそうです。
そのため、本人がこのままでもいいと思っている霊もいるし、成仏の仕方がわからないから霊のまま、という人もいるとのことです。
どうして幽霊が御嶽にいるのか、そこを説明しますと……。
亡くなってすぐに御嶽に行き、そのままそこで過ごしていて成仏するチャンスを失っているパターンが多い、ということでした。
霊本人は、そろそろ向こうの世界に行かなければいけないと、うすうす気がついているけれど、
「御嶽を守らなければ!」「ここにいなければ!」
という念で凝り固まっていて(責任感とか使命感とかそういう念です)、その念がずっしりとした重石となり、上に昇って行くことができないそうです。
私が出会った石垣島の「天川御嶽」の守り人の老人がまさにこのタイプだと教えてくれました。
そうか、あのおじいさんはそんなに強い使命感を持って、あの御嶽にいたのか……と思うと、議論をしたことが申し訳なく、「悪いことをしてしまいました」と、代表の女性に謝罪しました。
すると、代表の女性はにっこりと微笑んで、あれはあれで良かったのだ、と言います。
頭痛でガンガンに攻めてきたおじいさんでしたが、「こいつ(私ですね)の言うことにも一理ある」と思ったその後で、おじいさんは深く考えていたそうです。
物事を一方からしか見ていなかったことに気づき、反省をし、考えを改めたところで……おじいさんのガチガチに固まっていた念は、少しずつ溶けてゆるんでいったそうです。
念を柔らかくゆるませることができたため、最終的におじいさんはその念を手放すことができた、とのことでした。
今は成仏をして、天川御嶽にはいないそうです。
いずれおじいさん本人が、自分で気づいて成仏をしていたのでしょうが、「礼を言う」と代表の人がお礼を言ってくれました。
おじいさんは魂のメンテが済むと、その先は自分で選べます。
輪廻転生の道に行く、しばらく霊界で過ごす、霊界で仕事をする……天川御嶽に戻って御嶽を信仰している人々を守る、という道も考えられます。
(成仏をすれば、観光客にイライラと障りを与えることはなくなり、一段高い場所から守る存在になります)
成仏したことを聞いて、ああ、良かった〜、と心底そう思いました。
そこで……。
差し出がましいかな、出しゃばりすぎかも? と思いながらも、さらに聞いてみました。
「他の霊の人たちを、成仏させてあげなくてもいいのでしょうか?」
代表の人はちょっと困った顔をして、成仏させてやりたくてもやり方がわからない、と言います。
「あの〜、非常に差し出がましくて……余計なお世話だと思うのですが……もしも、成仏をしたいという霊がいるのなら、私、強いお地蔵さんの知り合いがいるんです」
「???」
「お地蔵さんにお願いをすれば、向こうの世界に連れて行ってもらえます。成仏できます」
「それは……どうすればよいのか?」
「霊の人に、成仏する意味を説明していただけますか? 霊をやめれば、好意を持っている人間に知らず知らずの間に障りを与えてしまうこともなくなるし、良いほうの力を使って御嶽や地元の人々を守ることができます。そのことを霊の方々に理解してもらって、では成仏しようかな、と心の準備ができた人がいましたら、その方々をここに集めて下さい。お地蔵さんを呼ばせていただきます」
私が、南の島はすごいな〜、と思ったのは、見えない世界における特殊性です。
普通は、成仏した人の声や神様修行をしている人の声は、幽霊には届きません。
幽霊からすると、声が聞こえないだけでなく、姿も見えないのです。
幽霊という存在からは上のほうは見えない、聞こえない、となっています。
(中には例外もあるのですが、一般的にはそうです)
しかし、不思議なことに、南の島の「ノロネットワーク」「御嶽ネットワーク」では声が届くのです!
なんでだろう? どうしてかな? と仕組みを知りたかったのですが、そんな状況ではなかったのと、多分、代表の女性からすると当たり前のことで、質問をされても困る、となるかもしれないので自粛しました。
ネットワークがすでに切れてしまった私には見えませんでしたが、海岸にはたくさんの幽霊が集まっていたようです。
そこで、お地蔵さんの姿かたちを説明し、お地蔵さんが来たらどうすればいいのかを伝えました。
私が強いご縁をもらっているのは恐山のお地蔵さんです。
恐山におられるお地蔵さんは、お地蔵さんとは思えないほど強大なパワーをお持ちです。
そのお地蔵さんを恐山からお呼びすると、とても大きな体でやって来られました。
日本列島を大股で歩いて来られたそうです。
「うわぁ、巨大ですね!」と言うと、
「お前には見えていないだろうが、人数がとても多い」とのことでした。
裾にしがみつく人が多いので、大きなお姿で来られたようです。
(お地蔵さんのお詳しいお話は「神様が教えてくれた金運のはなし」という本に書いています)
正式にお願いをして、お地蔵さんに指示されるままに真言を唱えたり、あれこれお手伝いをすると、裾にいっぱいの霊をつけてお地蔵さんは空へと昇って行かれました。
昇っていくお姿を見送っていると、7歳の女の子が必死で裾にしがみついているところが見えて、「あ! あの子も行ったんだ! 良かった〜、もう大丈夫」と、ホッとしました。
大勢が成仏したあとで、代表の女性が、土下座とは違う、伏して礼をするポーズで、私にお礼を言ってくれました。
「いえいえ、約束したことを取り消してほしい、などという失礼を働いた私を快く許して下さったのですから、お礼を言うのは私のほうです」と、私も座ってちゃんとお礼を述べました。
代表の女性とは、このあとも少しお話をして、御嶽のことを私なりに理解しました。
最後に、代表の人に聞きました。
「今回の南の島での体験は、本に書いたほうがいいですか? それともブログがよろしいでしょうか?」
代表の女性はブログを知らなかったので、説明をしました。
すると、「ブログと本の違いは何か?」と聞かれます。
ブログは、スマホやパソコンを持っていれば手軽に読むことができます、
ただし、時間が経って過去の記事になってしまうと読み返してもらえる率は極端に低くなります、
そこへいくと本は何回も読み返してもらうことができます、
スマホやパソコンを持たない人も意外と多く、高齢の方に読んでもらうためには本に書いたほうがいいと思います、
スマホやパソコンは人に借りることができませんが、本は図書館で借りることができます。
と、一般的な説明をしたあとで、私の場合は……ということもお話しました。
本は純粋に信じてくれる読者の方が多いです、
その方が南の島に来たら御嶽のことを心から敬ってくれて、大切に思ってくれることと思います、
そのような心の美しい方が多く読んでくれています、と説明をしました。
ブログも同じ読者の方が読んでくれていますが、誰でも読めるというのがブログの特徴で、私のことをよく思っていない人も読んでいます、
信じてくれない人も少なくないです、
見えない世界を違う角度から見ている人は、もしかしたら私が書く御嶽の話を、間違っている、と発信するかもしれません、
賛否両論になると思います……と、リスクも正直にお話しました。
代表の女性は少し考えて、「だが……ブログのほうが読まれる数は多いのだな?」と確認をします。
「はい。断然多いです」
「では、ブログに書いてもらいたい」
ということで……こうしてブログに詳細を書いています。
大変お世話になったノロの代表の女性に改めてお礼を言い、お別れの挨拶をした私は島の南側にある大原港へと向かいました。
途中で古見岳登山道入口にも寄り、山岳系神様に、浜辺での出来事のご報告もしました。
禊をしようと川に入ってみたら、思ったよりもはるかに深くて……向こう岸へ行くのはあきらめましたが、ご神水で禊をさせてもらえて、ありがたかったです。
古見岳の神様によると、私から出ていた霊のネットワークはすべて切ってあるとのことでしたが、痕跡が少し残っているそうで、神様がそれを全部消してくれました。
山岳系神様の波動で浄化をしてもらい、パワーも充電していただきました。
禊ができる清い水が、簡単に行ける場所にあって良かったです。
古見岳の神様は神格の高い神様でした。
島の神様について聞くと、この山岳系神様とは別にいるそうで、女性だということでした。
古見岳登山口は、道路脇に2~3台の小さな駐車スペースがあって、そこから入ります。
山道はこのような感じです。
少し歩くと川に行き当たります。
向こう岸まで軽く行けそうじゃないですか~、と思われた方、そうなんです、私もそう思いました。
実際に入ってみたら、結構深かったです。
半分も行けませんでした。
裸足になっていますから、足の裏が痛かった、というのもあります。
体重が重たい分、石が突き刺さるというか、めり込むんですね~、足の裏に。
透明度の高い水は、浅く見えるので注意が必要、と学びました。
葉っぱの大きい植物が多かったです。
こちらの大きな葉っぱの下からは湧水が湧いていました。
また西表島に行く機会があれば、次回は古見岳に登ろうと思います。
その時はビーチサンダルを持参します~。 痩せれば話は早いのですが……
※続きます。
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天から聞こえるメロディを曲にしています。