今から私が書くことは、仏教や神道の教義、および、お坊さんや神職さんのおっしゃることとは、異なっております。 

 

仏教や神道での、おふだの意味や位置づけなどをお知りになりたい方は、神社仏閣に行かれてお聞きになるか、お坊さんや神職さんが書かれたものを、お読みになることをおすすめ致します。 

 

私は自分が体験したこと、見たこと、神仏から聞いたことをそのまま書いていますが、宗教である仏教・神道とは違っている内容が多くあります。 

 

ですから、私が書くものは、すべて個人的見解であるということをご理解いただいたうえで、お読み下さいますようお願い申し上げます。

 

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おふだにお水をお供えしなかったら、失礼になるのでは? と思われた方がいらっしゃると思いますので、おふだとは何か? を考えてみたいと思います。 

 

「神社仏閣 パワースポットで神さまとコンタクトしてきました」という本に、神棚のことを書きました。 

 

そこに、おふだとは何か? ということと、介護職をしていた時の利用者さんの実例を2つあげて、おふだを神棚に祀ったらどのような恩恵があるのか、ということも、わかりやすく説明をしています。 

 

そちらを読んでいただけると、ああ、なるほど〜、とご理解していただきやすいように思います。(本は買わなくても図書館で借りられます) 

 

おふだをざっと説明しますと……神社でもらうおふだには、その神社の神様の波動が強く入っています。 

 

神棚に祀れば、神社と家を結ぶ窓口になりますが、神棚に入れない場合はお守りの強力バージョンとなります。 

 

「窓口」と言っても、形式的なものではなくて、〝本当に繋がって〟いますから、その窓口を大事にすることで、次の時には、眷属が来て下さったり、修行中の神様(ご祭神以外の神様)が来て下さる可能性があります。 

 

おふだを神棚にお祀りしているお宅は大事にお世話をされるといいです。 


おふだは、〝できれば〟神棚にお祀りをするのがおすすめですが、神棚が作れない、というお宅もあるかと思います。 

 

さきほども言いましたように、神棚に入れなければ、おふだは窓口にはなりません。 

 

お守りの強いバージョンですから、タンスの上に置いても食器棚の上に置いてもいいわけです。 

 

取り扱いの考え方は、お守りとほぼ一緒です。 

 

買ってきたお守りに、お水をお供えしないのと同じで、おふだもお供えしなくていいのです。 

 

お守りもおふだも、お水を飲みません。 

 

「おふだって、神様の分霊が入っているのでは?」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、残念ながら、神様は入っていないです。 

 

もしも……おふだ1枚1枚すべてに神様が入っているとしたら……神社はすっからかんになってしまいますし、神様側の数が圧倒的に足りないです。 

 

「いや、そうじゃなくて、分霊としての神様っぽい存在、神様のかけらのような存在が入っているのでは?」というふうに、お考えになるかもしれませんが、分霊のようなものも……存在しないです。 

 

神社には、ご祭神の神様、そこで修行をして神様になった神様、神様修行をしている途中の神様見習い、眷属がいます。 (神社によって構成が違います)

 

それぞれがしっかりとした強い存在でおられ、分霊というあやふやなものはいませんし、そのようなシステムもありません。

 

これは違う方向から、考えてみると理解しやすいかもしれません。 

 

仮に……分霊という、神様のような存在がいたとします。 

 

それがおふだに入っているのなら、「古札納所」にポイッと返すのは、とても失礼なことになります。 

 

分霊神様にしてみれば、1年間、面倒をみたのに、最後は紙くずのように、古いおふだやしめ縄などのゴミの山に返されるわけです。 

 

そんな失礼が許されるのでしょうか……? 

 

いただく時は祈祷で、神職さんが祝詞を唱え、それなりの儀式をするのに、返す時は儀式も祝詞もなしで、ポイッと返却する……というのは、理屈に合わないように思います。 

 

というか、もしも分霊神様がいるとしたら、そんな失礼な話はないと思います。 

 

でも、そのような返却方法でも一向に構わない、というのは、おふだが波動入りのツールだからです。 

 

家にあれば高波動で守ってもらえますから、おふだはありがたいものです。 

 

しかし、ツールであるおふだですからお守りと一緒で、お水は飲まないため、お供えをしなくても、まったく失礼ではないのです。 

 

お寺のおふだも同じです。 

 

おふだに、仏様を入れるためには(道が繋がるようにするには)、開眼供養という儀式が必要になります。 

 

お坊さんにお経をあげていただいて、特別な供養をしてもらってはじめて、ただの仏像が〝仏様〟になるわけです。 

 

「おふだは、あらかじめ開眼供養がされているのかも?」と思われるかもしれませんが、開眼された仏様を1年経ったからといって、こちらも「古札納所」にポイッと返すのはありえないです。 

 

仏様の場合は、一旦、開眼をすると、魂抜きという儀式をして、仏様の魂を抜かなければなりません。 

 

魂抜きもせずに、「古札納所」にポイッと返しても OK なのは、仏様が入っていないからです。 

 

仏様が入っていませんから、おふだがお水を飲むことはありません。 

 

よって、お水のお供えはしなくていい、ということになります。 

 

 

 

※このお話、もう少し続きます。 

 

開眼供養で仏様の魂を入れてしまったら、勤行をしなければなりません。 

魂を入れたのに、読経もせずに放っておくのは良くないです。 

ですから、開眼をする場合は、そこのところをしっかりとお考えになることをおすすめ致します。 

勤行をしなければ、機嫌が悪くなる仏様がおられます。 

機嫌が悪くなると障りが出ることもあります。 

もしもそうなった場合は、毎日勤行をするようにするか、お坊さんにお願いして魂抜きをしてもらいます。

 

 

 

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