ここ最近、質問が多く、また、ものすごーーーく悩まれている方がいらっしゃるため、ちょっと書いておきたいと思います。

(これは長く非公開にしていた記事ですが、「ひっそりとスピリチュアルしています」という本には載せています) 

 

いきなり結論から言いますと……水子が霊障を起こすことはありません。 

 

ましてや祟(たた)るなんてことは、絶対にないです。 

 

この世に生まれていないのですから、人間のように、憎むとか怨(うら)むという感情は持っていないのです。 

 

清らかな魂がお腹に宿り、そのままの状態であちらの世界に帰るのですから、人間が考えるような復讐めいたことはしません。 

 

どうしても産めない理由があって仕方なく中絶をする場合、お腹の子どもはその状況をちゃんと理解しています。 

 

実は、宿る前から、もしかしたら産んでもらえないかもしれない、ということはわかっているのです。 

 

それでもあえて妊娠するのは、そのお母さんの子どもとして生まれたい! という気持ちが強いからです。 

 

もしかしたら産んでくれるかもしれない、という可能性に望みをつないで妊娠します。 

 

ですから、産んでもらえないという結果になっても、お腹の子どもは怨んだりしません。 

 

お腹に宿った時から、その女性は〝大好きなお母さん〟なわけです。 

 

幼児は、母親が好きで好きでたまらない、という感じですが、あれと一緒です。 

 

自分が産まれたら、大好きなお母さんが困る、ということは十分理解しています。 

 

母親が産まない選択をしたら、その時点で子どもは〝自己犠牲〟ということで、自分の一生をあきらめます。 

 

あちらの世界で一生懸命、計画を立てた盛りだくさんの一生ですが、大好きなお母さんのためにあきらめてくれるのです。 

 

ですので、もし中絶をしたのであれば、子どもにかける言葉は「ごめんね」ではなく「ありがとう」です。 

 

この〝自己犠牲〟という行為は、大変崇高なもので、一気に霊格が何段階も上がります。 

 

しかも自己犠牲をおこなえるチャンスというのは、そうそうありません。 

 

子どものほうも、すごく生まれたかったけれど、生まれてお母さんを困らせなくてよかった、そして自己犠牲という尊い修行ができてよかったと思っています。 

 

魂のままですから、純粋なのです。 

 

というわけで、かける言葉は「人生をあきらめてくれて、自己犠牲をしてくれて、ありがとう」となるわけです。 

 

母親がいつまでも「ごめんね」「ごめんね」と謝ってばかりだと、母親のその罪悪感をなんとかしてあげようと、子供はなかなか生まれ変わりに行けません。 

 

もしも罪悪感を持っている方がいらっしゃいましたら、罪悪感は今すぐに捨てて、感謝の気持ちに変えてあげるといいです。 

 

すると子供は安心して、次の転生へと行くことができます。

 

このようなピュアな魂に対して、〝祟るかもしれない〟と、おびえるのは、失礼だと私は思います。 

 

子どもが可哀想すぎます。 

 

流産・死産も子どもの〝自己犠牲〟がほとんどです。 

 

人間である親にはわかりませんが、お腹にいる子どもはまだ魂ですので、先までわかります。

 

生まれたら、親が将来困ることになってしまう、親が悲しむことになる、苦しむことになる、となると自分を犠牲にして親を救います。 

 

たとえば、妊娠してみると予想以上に母体に負担がかかり、出産がきっかけで母親が病気になる、となれば親を思う気持ちから、自分で去って行きます。 

 

大好きなお母さん、ですから何としても助けたいのです。 

 

ですので、流産・死産の場合も、「私が悪かったのかも」と罪悪感を持つのはよくないのですね。 

 

崇高な我が子に、感謝の気持ちで「ありがとう」と言うべきだと思います。 

 

流産・死産をして、すぐにまた妊娠をしない場合は、子どもの人生の予定と生まれる時間が合わないとか、あちらの世界の事情があるので、これも自分のせいだと責めるのはよくないです。 

 

魂のまま帰って行った子どもたちの供養についてですが、基本的には日々の供養や、年に1回の命日の供養はいらないようです。 

 

人間になっていないし、親のために自分が犠牲になったという高度な修行をしたので、命が消えた瞬間に成仏しています。

 

そして、すぐに代わりとなる次の転生の準備に入っています。 

 

ただ、ここは私にも、なぜかという理由は、まったくわからないのですが、年忌はしてあげないといけないみたいです。 

 

生まれていない場合、13回忌までに転生していくようなので、13回忌まで供養してあげれば大丈夫だと思います。 

 

1周忌、3回忌、7回忌、13回忌の4回です。 

 

一度も供養をしていなくて、13回忌が過ぎてしまった場合は、念のために25回忌で一回してあげたほうがいいと思います。

(覚えていない場合は、供養をしてあげようと思った時がベストです。それは、子どものほうが「今、してほしい」と思っているわけですから、何かのサポートになります) 

 

ちなみに、年忌をしなくても、子どもは怨んだり怒ったりしません。 

 

ただ、とても悲しみます。 

 

年忌の時だけ、転生準備から地上に戻ってくることができるようで、私はその姿をあちこちで何回か見たことがあります。 

 

では、その供養とは、何をどうしたらいいのかと言いますと、大がかりな法要は必要ではなく、母親が心をこめて写経を1枚してあげるだけで十分です。 

 

高額な水子供養をしなくても……というか、心をこめて手作りの供養してあげる方が子どもは喜ぶと思います。 

 

生まれてきていないので、普通の法要は必要ないのです。 

 

写経用紙をお寺に奉納すれば、お寺のほうでちゃんとお経をあげて供養して下さいます。 

 

それで、立派な年忌供養になります。 

 

肝心なのは、年忌をしてあげようという、我が子を思う母親の愛情です。(父親でももちろん子どもは喜びます)

 

その気持ちがあれば、たった1枚の写経ですが、輝くような尊い般若心経を我が子に送れます。 

 

生まれてくることができなかった我が子にありがとうと感謝し、次の転生では愛情あふれる良い環境に生まれますように、と心から願う親心は、生まれ変わりをサポートする神々にも届きます。 

 

子どもにとって、これ以上の供養はありません。 

 

 

 

※これはもともとブログ記事でした。

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