※昨日の続きです。
墓地を抜けると、ふたたび住宅地になり、道を登りきったところで石畳の坂道に出ました。
地図アプリでは、その地点が「亀山社中」となっていますが、まわりは普通の民家ばかりです。
( ̄ー ̄; 一体どこに……亀山社中があると言うねん……。
仕方なくその場で情報を検索しました。(本当に便利な世の中ですね~。ありがたいです)
調べた結果、その地点から坂道を少しくだり、さらに細い道を左折すれば行けることがわかりました。
左折した細い道は、思いっきりくだる、という角度になっていて……これって、無駄に登ったってことだよなぁ…… と思いました。
ふひ~、やっと着いた! (≧▽≦)
苦労して到着した亀山社中です。
塀の中央に案内板があって、今、見ているこの道の向こうから来るのが普通のルートらしいです。
道の反対側がこちらで、こっちから登ってくる人も、ちらほらといました。
私はどこから来たのかというと、街灯の横にあるコンクリートの石段、あそこを上から降りてきました。
正面入口です。
門をくぐると左側に玄関があります。
写真撮影が許可されているのは、入ってすぐの間(10畳)のみでした。
ちなみに、お部屋は3つあって10畳・8畳・3畳なのですが、8畳と3畳はくっついているため、ぱっと見はお部屋が2つ、です。
こちらが10畳のお部屋の床の間です。
刀やピストル、着物などは複製で、本物は東京国立博物館にあるそうです。
床の間に向かって右手は縁側でした。
現在は家やマンションが建っていて眺望が良くないのですが、当時は港を一望できた、ということです。
10畳から3畳の間を見たところです。
奥に見えている勝手口のような引き戸、ここが昔の玄関だったそうです。
当時、この家にはトイレもお風呂も台所もなかったそうです。
もともと住居のための建物ではないので、隊士もここで暮らしていたわけではなく、事務所として借りていた、とのことでした。
3畳の天井裏には隠し部屋がありました。
上がって実際に見ることができます。
隠し部屋の床から屋根までは低かったのですが、中は意外と広かったです。
20人は入れると思います。
壁がスス黒くて、妙なリアル感がありました。
亀山社中跡の右隣りは何だったのか……非常に気になりました。
ここも大変深い関係があったように思います。
それと、もう一つ、とても興味深いものがありました。
※続きます。
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天から聞こえるメロディを曲にしています。