長老神様は人なつっこい雰囲気で聞いてきました。
「何を知りたいのか?」
「安徳天皇がここでお亡くなりになったという説があるのですが……?」と、ズバリ聞いてみました。
「ここには来ていないぞ」
あ、やっぱりそうなのか……と、思った時に、 「平氏の落人は3人来たが」と言います。
その3人は武将とか、そういう身分が高い、上のクラスの人ではなく雑兵だったそうです。
そのような身分の低い兵士たちが日本中に散らばったそうで、そのうちの3人が栗枝渡八幡神社があるこの地域に来たということでした。
現代は道路があって車で行けますから、そんなにアクセスが困難な土地というわけではありませんが、昔は本当に山奥にあるひっそり、ちんまりとした小さな集落だったそうです。
落ちのびて来た3人はここで暮らそう、となって、お嫁さんをもらい、子どもも生まれたそうです。
そのうち、近隣の集落に「あの村には平家の人がいるらしい」と徐々に話が伝わっていったそうで、それがいつしか、武将だったとか、身分が高い人だったとか、そのように尾ひれがついて話が広まったということでした。
3人が死んで、時間がたつにつれて、その尾ひれが大きくなったのだそうです。
平氏の落人が来たことは事実だけれど、安徳天皇ではない、とのことです。
なるほど〜、と思いました。
もしかしたら、落ちのびてきた3人のうちの、誰かの子どもが亡くなって火葬されたのかもしれません。
この集落に住む人々は、心根の良い、信仰心の深い人ばかりだったそうです。
落ちのびてきた3人をかくまってあげ、集落の住人としてあたたかく迎え入れ、仲良く暮らしたそうです。
神社ができたのは3人が亡くなってすぐではなく、かなり時間がたってかららしいです。
「平家の人が落ちのびて来たらしいよ?」
「知ってるよ、高貴な身分の人やったって話やろ?」
「子どももいたんだってね」
「それって、もしかして、安徳天皇?」
「ここだけの話……そうらしいよ」
「あそこの木の陰で火葬にされたって、聞いたことがある」
「祀ったほうがいいんじゃない?」
とかなんとか会話があって、神社ができたのかもしれません。
堂々と「安徳天皇神社」とは名乗れませんから、八幡神社にした可能性があります。
「あの〜、神様? ここにキリストが来たって説もあるんですけど? キリスト本人ではないにしても、古代のイスラエル人が来たのでしょうか?」
長老神様は愉快そうに笑いながら、「来てない」と言います。
外国人がこんな山奥に来るわけないやろ? みたいなニュアンスです。
「外国人は来てないんですね?」
「来てない来てない」
と、長老神様は否定の意味で手を振りつつ、楽しそうに笑っています。
神様に対して、こういう表現はどうかと思いますが、本当に気のいいじーちゃん、という感じです。
ボロボロの粗末な服を着ておられるところを見ると、貧しい集落だったのかもしれません。
しかし、見ず知らずの旅の人を心からもてなす、という親切な集落でした。
長老の人柄そのものです。
長老はすご〜〜〜く優しい人で、長老をお手本とした、村の人々もみんないい人だったようです。
落ちのびて来た3人は、この集落の人たちのあたたかさにふれて、「あ〜、ここはいい人ばかりだな〜。優しいな〜」と、永住を決めたのではないかと思います。
安徳天皇の陵(みささぎ)は、山口県下関市の赤間神宮境内にある阿弥陀寺陵となっています。
しかし、壇ノ浦合戦後の生存説も否定できないようで、〝宮内庁指定〟の陵墓参考地が5ヶ所あります。
山口県、鳥取県、高知県、長崎県、熊本県です。
そこに栗枝渡は入っていませんから、宮内庁の調査でも可能性は低いと判断されたのだと思います。
長老神様は誰に対しても優しい、ほんわかとした癒しを下さる神様です。
仕事に忠実なワンちゃんが、ワンワンと吠え続けていた時に、「根性ありますね~」と神様に言うと、「よく吠えているぞ」と笑顔で言っていました。
拝殿から見える水色の建物は……
本殿でした。
珍しい色です。
本殿横には境内社があります。
こちらは光の加減で暗く写ってしまいましたが、境内の横にあったお社です。
木が!
すごいです。
大きな石をガッチリとつかんでいます。
こちらも境内の端にあったお社です。
こんな感じの、のどかな山奥にある神社です。
新刊の見本が届きました。
表紙カバーが和紙になっています!
手触りがいいので、スリスリしてしまいます。
パッと見、すごいことが書かれているような作りにしてくれています。
中身が表紙カバーに負けたらどうしよう…… と、手に取った時に思いました。
21日発売です。
よかったら詳細をご覧になってみて下さい。
楽天にはまだ情報が載っていないようです。