真言についてこれから書くことは、私の個人的見解です。 

 

仏教としての知識を身につけたいとお考えの方は、お寺に言ってお話を聞いたり、僧侶の方が書かれたものを読むことをおすすめ致します。 

 

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真言は、お寺の勤行で唱えられているのを聞いて覚える、お寺でお坊さんに教えてもらう、お寺のお不動さんの前に書かれているものを見て授かる(これはお不動さんから直接もらったと考えていいです)という方法のいずれかでいただきます。 

 

ネットで簡単に調べることができますが、調べて覚えた真言に力はありません。 

 

ですから、まだ真言を持っていない、という方はどこかのお寺に言って、お不動さんにいただくといいです。 

 

お寺に行ったらそこに真言が書かれていた、やった、真言を授かることができた……と、この場合、ご縁もいただけているのかというと、残念ながらそれは別のお話になります。 

 

前回書きましたように、ご縁がもらえるかどうかは、お不動さん次第です。 

 

真言はもらえても、ご縁はまだ……という場合がありますし、真言と同時にご縁までもらえているという、ラッキーな人もいます。 

 

私は、役行者の真言を、仏様の聖域で修験者の方が勤行しているのを聞いて、いただくことができました。 

 

しかし、まだ、役行者ご本人からご縁はいただいておりません。 

 

ご縁はいただいてなくても、真言は効力を発揮して、私を助けてくれています。 

 

ですから、真言をいただけるということは、それだけでも大変ありがたいことなのです。

 

仏様にいただいた真言は、仏様を呼ばなくても、唱えるだけで力を発揮してくれます。 

 

その具体例ですが、私はある民間信仰の場所に行ったことがあります。 

 

そこにはたくさんの人形や仏像があって、幽霊でもなければ神仏でもない存在が多くいました。

 

どちらかと言うと、かなり霊に近い存在でした。

 

その霊が神仏のふりをして中途半端なことをしています。

 

「本格的にやばいな、ここは」と、絶句してしまう妖気でした。

 

そのままそっと帰ろうとしたのですが、何体かの存在が私に気づき、こちらにす〜っと寄ってきました。 

 

ついてこられては困るので、そこからはお不動さんの真言を延々と唱え続けました。 

 

小高い山でしたので、下の駐車場までかなり歩きましたが、途切れないように気合を入れて唱えました。 

 

この時はお不動さん本人を呼んでいません。 

 

真言の力だけを借りたのです。 

 

唱え続けていると、真言は私の体のまわりをくるくるとらせん状に回るような感じでバリアとなってくれ、霊たちは、私に乗っかるどころかそばにも寄れませんでした。 

 

このように真言を唱えて助けてもらっても、お不動さんは呼んでいない、という場合がよくあります。

 

つまり真言だけでも力が発揮されるのです。

 

そして、真言を唱えることが、イコール、お不動さんを呼んでいる、ということにはならない、とおわかりいただけたかと思います。

 

危険な時は、「助けてー!」と魂が叫んでいるので、それを聞くと、ご縁を下さっていれば、お不動さんが来てくれます。 

 

「真言をしょっちゅう唱えています。失礼をしているのでしょうか」という方も、日常では魂が叫んでいませんから、唱えるたびに呼んでいることにはなりません。 

 

気にされなくて大丈夫です。 

 

朝、唱えてから出かけるという方も、暗くて怖い時につい唱えてしまう方も、お不動さんを呼んではいないので気にしなくていいと思います。 

 

前置きが長くなりました。

(えっ! いままでの話、前置きやったんーっ! びっくり とあちこちから声が聞こえてきそうです。

 

タイトルにまでしてるやん、と。

 

(●´ω`●)ゞ 思ったより長くなったのでメインの話みたいになってしまいました。

相変わらす、前置きが長いです。すみません) 

 

と、いうことで、話をちょっと戻しまして……仏様に真言をいただく時のことを書きます。 

 

真言が書かれていても覚えられないんです……というメッセージを数通いただきました。 

 

真言は聞いたことがないカタカナの羅列ですから、長いとその場で覚えるのは難しいかもしれません。 

 

これが他の仏様だったら、まぁ、いいか、必要な時がくれば覚えられるだろう、とのんきに構えていてもいいのですが、お不動さんの真言はいただける時にもらったほうがいいです。

 

何回か暗記しようとしたけれど、どうも無理っぽい、となったら、手を合わせてお不動さんにお断りを入れます。 

 

「一生懸命覚えようとしたのですが、どうしても頭に入りません。本来ならここで覚えるべき真言ですが、どうかメモすることをお許し下さい。メモをしても効力のある真言としてお授け下さい」 

 

と、頭を下げます。 

 

そして、お不動さんの目の前でメモをさせてもらいます。 (お不動さんの前で、小声で構いませんから、一度声に出して唱えておきます)

 

もう一つの方法としては、先にネットで調べて暗記しておきます。 

 

もちろん、効力を発揮しない真言ですから、これでは意味がありません。 

 

ただのカタカナの羅列、ただの文字のつながったものです。 

 

この状態で、どこかのお寺で真言が書かれているのを目にした時に、そこのお不動さんにお願いをします。 

 

持っているただのカタカナの羅列を、本物の真言にしてもらうのです。 

 

その時は、事前に準備していたことをお話して、どうして事前に準備をしたのか、その理由も添えて説明をします。 

 

あとは心の底からお願いをすれば、かなりイレギュラーですが、本物の真言にして下さいます。

(この時も小声で構いませんので、1回、お不動さんの前で唱えておきます)

 

※続きます。 

真言に関してのお話はまだまだ続きます。