北海道での山の神様の取材は、当初、大雪山も予定に入れていました。
大雪山は旭川から行くので、事前に札幌から旭川へ行く経路を調べていたら、マップにいきなり「メム神社」という神社が出てきました。
その名前になぜか、ものすごく惹かれたので、旭川へ行く途中に寄ってみました。
下調べゼロで行ったので、アイヌの伝説とかそんな感じなのかな? と、思いました。
グーグルマップでは「メム神社」とカタカナで書かれていて、名前が日本語っぽくなかったからです。
行ってみると神社はとても小さくて、こじんまりとしていました。
神社の周辺は広々とした大地で、何の先入観も持たずに、鳥居をくぐって、社殿を見ると……。
なんと!
ヤタガラスさんがいるのです!
あれっ? 北海道になぜヤタガラスさんが!? と驚きです。
入口に案内板があったので、さっそく読んでみたら、以下のようなことが書かれていました。
明治27年十津川郷士、浦典相が熊野大神の分霊を奉持移住して来た。
仮社殿を設けて祭祀を行ない、明治30年に出雲大社分霊を合祀、明治33年に本殿が落成、金比羅大神を合祀。
現地ではこれだけしか情報がなかったのですが、さきほどネットで調べてみたら、もうちょっと詳しいことがわかりました。
明治22年に十津川郷が大水害に襲われ、明治26年に十津川百戸団体が芽生(メム)の地に移住したのだそうです。
移住してきた人たちは、先祖代々のお墓がなく、親戚や知り合いもいないので、神社が必要だと考えたみたいです。
それで、十津川郷士の浦典相さんが、熊野本宮大社に行って、明治27年3月23日に御分霊を拝受したそうです。
社殿には、実際にヤタガラスさんが神様としています。
ということは、浦典相さんの勧請によって、熊野本宮の神様が自分の代理として、力がある眷属を北海道につかわした、ということです。
熊野本宮で力がある眷属として働いていたヤタガラスさんは、この神社に来て、神様としてお仕事をされています。
もともと神様クラスの力がある眷属だったのでしょう、すぐに神様の神格に上がったみたいです。
社殿に向かってご挨拶をすると、私がよく熊野に参拝していることを、神様はすぐにおわかりになったようでした。
熊野の香りがするそうです。
この神社は、ご祭神としてヤタガラスさんがいて、さらに眷属も皆さん、ヤタガラスです。
眷属のヤタガラスさんたちは小さいです。
出雲大社の神様は……? と見ていたら、神様が「来てない来てない」と笑っています。
「金比羅の神様はいらっしゃるのですか?」
「いない、いない」と、これまた愉快そうに笑っています。
「ワシだけだ」 そう言って、姿をくっきり現してくれました。
それは那智の滝で見たヤタガラスさんと同じく、カラスのお姿でした。
そして、足が!
ちゃんと3本ありました!
本当に3本あるんだ〜、と感動しました。
熊野に帰りたいと思ったりしないのか、そこをお尋ねすると、時々、ちょっとだけ戻っているとのことでした。(用事があるみたいです)
このあたりの住民は純朴で良い人が多いから、この地が好きである、帰りたいとは思わない、と言っていて、北海道を大事に思っている様子が伝わってきました。
「近畿から北海道に来て、寒くありませんか? 私、初北海道なんですけど、寒さが違うのでビックリしました!」
そう言うと、神様はハハハと笑って、「寒いのは人間だけだ、神は寒くない」とおっしゃっていました。
あちこちの神社を数多くまわっていると、由緒は「???」となることが多く、ご祭神がまったく違う、というのもよくあります。
そこへいくと、この神社は正しい由緒で、熊野から来られたヤタガラスさんが神様として鎮座する神社です。
神様と眷属が全員ヤタガラスさん、という点も珍しいと思います。
こじんまりとしていて、社務所っぽい建物も閉まっていましたが、熊野の波動を持った神社ですので、熊野ってどんな感じ? と、「気」を感じに行かれるのもいいかもしれません。
ヤタガラスさんのお姿を思い浮かべながら、お話をすると通じやすくなるように思います。
鳥居から見た社殿です。
ヤタガラスさんが神様として見えて驚きました。
由緒が書かれています。
深川市は札幌より北に位置していますので、さらに寒かったです。
拝殿です。
この地が好きだという、神様の優しい気持ちがふんわりと表れています。
写真を通してヤタガラスさんの神様を、感じていただけるのではないかと思います。
ハートがまろやかな雰囲気を醸し出していました。
向こうへ押すようになっています。
手前が拝殿で奥が本殿のようです。
あれっ?
うわぁ!
お社が埋もれています!
雪が深いと思いっきり埋まるんですね。
春でこれですから、真冬は千木も見えないくらいに積もるのかなと思いました。
社殿側から見た、参道です。
こちらは神社前の風景です。
北海道! って感じですね。