先日、出版社さんからお手紙が転送されてきましたが、その中に気になることが書かれておりましたので、ちょっとそこについて書きたいと思います。 

 

そのお手紙は冒頭から「識子さん、すみません」と、私に謝っていました。 

 

??? と思って読み進めると、「本を買えないので、全部図書館で借りて読んでいます」とのことでした。 

 

買わなくてごめんなさい、と謝っておられるのです。 

 

その方は、小さなお子さんがいて働けない、それなのに旦那様がリストラをされ、借金もあって……と、細かくご自分の経済状況を書かれていました。 

 

パソコンやスマホがないことも書いておられました。 

 

ブログを読めないので、図書館で借りる本を楽しみにされているのだそうです。 

 

いつか経済的な余裕ができたら大人買いします、それまでは図書館で借りさせて下さい、とのことでした。 

 

図書館で読める……私は、そこが本の素晴らしいところだと思っています。 

 

パソコンやスマホをお持ちでない方は、ブログを読むことが難しいと思います。 

 

でも、本だったら図書館で借りることができます。 

 

少し待って中古本になれば100円で買えたりもします。 

 

私のもとには、出版社経由でたくさんの手書きのお手紙が届きます。 

 

本を出してから3年間で、本当に驚くほどのお手紙をいただいてきました。 

 

日頃パソコンで目を酷使しているでしょうからお手紙にしました、と言って下さる方や、写真を同封されている方、便せん7〜8枚の長いお手紙があったり、イラスト入りだったりと、いろいろなお手紙をいただきます。 

 

一字一字丁寧に書かれたお手紙は、時間がかかっただろうな〜とありがたく思いますし、こんな写真が撮れました、と同封して下さっている場合は、私も一緒に参拝したような気持ちで楽しく拝見しています。 

 

そのようなお手紙のうち、半数近くが、パソコンやスマホをお持ちではない方、もしくはブログは読んでいないとおっしゃる方からです。(電磁波アレルギーで、読みたいけどブログが読めないとおっしゃる方もおられます) 

 

若い人もいらっしゃいますが、年配の方が多いです。 

 

その方々が、「ブログを読めないので、大事なことは全部、本にも書いて下さい、お願いします」とお手紙で訴えてこられます。 

 

「この先もずっと本を出し続けて下さい、本を出すことをやめないで下さい」とも書かれています。 

 

皆さん、神仏の話をもっともっと読みたい、でもブログが読めない、という環境にいらっしゃる方々です。 

 

私が今までいただいたお手紙で、最高齢は82歳の女性の方でした。 

 

その方は、「この年で神仏のありがたみを知ることができました。本当に感謝しています」という内容を美しい文字でしみじみと書かれていました。 

 

さらに、「著書を拝読して、死ぬことが怖くなくなりました、識子さん、ありがとうございます」と最後にお礼も述べられていました。 

 

このようなご高齢の方にも読んでいただける、本という形はやはり素晴らしいと思います。 

 

こちらは半年くらい前にいただいた、若い女性の方からのメッセージです。 

 

その方は私が本でご紹介した神社の境内で、ご高齢の女性から、桜井識子さんの本を知ってる? と話しかけられたそうです。 

 

その本を読んで来たのですよ〜、と言うと、そこから話が弾んで1時間くらい楽しくおしゃべりをしたそうです。 

 

ご高齢の女性は、年金生活をしているので本は購入していなくて、図書館で借りて読んだ、とおっしゃったそうです。 

 

「今は神社巡りが生きがいになっているの〜。楽しいわよ〜」とまで言って下さったそうで、メッセージを読んで「ああ、良かった〜」と心底嬉しく思いました。 

 

もう1通、こちらも若い女性の方からで、私の心に深く残っているメッセージです。 

 

1年ほど前にいただきました。 

 

私が本でご紹介した神社の社務所で、その方は「桜井識子」という名前を出したそうです。 

 

すると、たまたまそこにいた初老の男性が「僕も読んで来ました!」とおっしゃり、そこで神職さんをまじえて3人で楽しくお話をしたそうです。 

 

そののち、境内のベンチでさらにその「気の良い初老のおじさん(と、女性の方が書かれていました)」とお話が弾んだということです。 

 

初老の男性は、お母様の在宅介護を一人でされている、と身の上話をされたそうです。 

 

日々の生活に精一杯で……と苦しい家計のお話もされ、本を買う余裕がないため、悪いとは思ったけれど本屋さんですべて読ませてもらった、とおっしゃったそうです。 

 

メッセージをここまで読んだ私の頭に浮かんでいたのは、福祉用具専門相談員をしていた時に担当させていただいた利用者さんの息子さんでした。(息子さんと言っても、もうすぐ60歳という年齢でした)

 

この方は、私が最後の定期点検(退職をするため、この日が最後でした)に伺った日に、玄関でお別れのご挨拶をしていると、「そこまで出るから」と言って、車まで送ってくれました。

 

駐車している場所まで一緒に歩き、そこでご挨拶をし、私は車に乗り込みました。

 

走り出してルームミラーを見ると、息子さんが手を振ってくれていました。

 

ちょっと走ってから、また見ると、息子さんはまだそこで手を振っています。

 

それからまた少し走ってミラーを見たら、息子さんの姿は豆粒ほど小さくなっているのに、まだそこに立って見送っています。

 

田舎の1本道ですから、ずっと見えるのです。

 

え? え? と思いながらチラチラとルームミラーを見ていたら、確認できないくらい小さくなっても、私をじっと見送っていて、最終的に私が右折して完全に見えなくなるまで、そこに立っておられました。

 

口でありがとうと言うだけでなく、行動でも感謝を伝えることの大切さを、私に教えて下さった方なのです。

 

この方も初老の男性と同じく、お一人でお母様の在宅介護をされていました。

 

本当に心の優しい、お母様思いの方でした。 

 

在宅介護は、想像を絶するくらいつらい時、しんどい時があります。 

 

その事情をよく知っているので、メッセージに書かれていた初老の男性も日々大変だろうな……と、そのご苦労を思いました。 

 

女性のメッセージの続き……次の1行には、こう書かれていました。 

 

「初老のおじさんは、識子さんの本にとても救われたと感謝していました」 

 

そのひと言を読んだ時……涙がポロポロとこぼれて止まりませんでした。 

 

ささやかでも私の本がお役に立てて良かった、と思いました。 

 

しんどい在宅介護の合間に行った神社で……神様はきっと初老の男性をあたたかく癒してあげたのだろうな、心をポカポカにしてあげたのだろうな、と思うと、その神社の神様の優しさが私の心にまで広がって、ありがたさでいっぱいになりました。 

 

神様が、「つらいだろうが負けるなよ」と、初老の男性を思うお気持ちが尊くて感動しました。 

 

本という形だったら、パソコンやスマホをお持ちでない方にも、神仏がどうにかしてその人を守っていることを伝えることができるように思います。 

 

初老の男性、お手紙を下さった82歳の女性、年金生活をされていて神社巡りが生きがいになったとおっしゃる女性、今は経済的にちょっと苦しくていらっしゃる若いお母さん、皆さん、神仏に愛されています。 

 

でも、インターネットを使える環境にはいらっしゃいません。 

 

その方々に神仏の優しさやご加護をいただけるありがたさをお伝えする……それができるのが、本ではないかと思っています。 

 

本はやはり素晴らしいなぁ、ありがたいな、と思うと同時に、このブログを読んで下さっている方の中にも、図書館で借りておられる方がいらっしゃると思います。 

 

それができることが、本の良いところですから、どうか、私に謝ったり、そのようなお気持ちを持ったりなさいませんように……ということを、心からお願い申し上げます。