80代のご夫婦が2人で暮らしているお宅でのお話です。

どちらも要介護で歩行が不自由ですが、認知症はありません。

夫さんは週に2日、デイに行っていて、この日はデイのお迎えサービスで行きました。

いつものようにデイの送迎車から降りた夫さんはご機嫌で、一刻も早く帰りたいのか、せかせかとエレベーターに向かいました。

この夫さんがとってもユーモアのある人で、出身が高知なのですが、 「高知に行ったことあるか?」 と聞かれたことがあります。

「ありますよ」

「どこ行ったんや?」

「高知城とか桂浜とか」

「他は?」

「あ、はりまや橋も行きました~」

「あー、あそこは大事やで!」

「え? そうなんですか? 日本三大がっかりのひとつらしいですよ」

「かんざし買うたとこやでな、はずされへん名所や! 見とかな」

と真剣に言うので笑いました。

よさこい節の歌詞 【土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た】 のことを言っているのですが、いやいや、坊さんがかんざし買ったの、そこまで重要じゃないと思うんですけど~、とおかしかったです。

この夫さんの、下の名前の漢字がたいへん難しい字で、記録を記入する時はいつも間違えないように必死で確認します。

その漢字の意味はとても奥深く立派で、良い名前だなぁといつも思います。

「○○さんの名前、いい名前ですよね~。でもちょっと漢字が難しいですよねぇ」

「せやろ~」

「私、いまだに覚えられないです」

「大丈夫や。オレなんか、80年この名前使こてるけど、まだちゃんと書かれへん」

「そんなわけないじゃないですか~」 とこの時も、あははは、と笑いました。

その後、デイでぬり絵(カレンダーになっています)をした夫さんは、そのぬり絵を奥さんに見せていました。

奥さんは 「上手にぬれてるやんか~」 と言うと 「あ! またや! また名前間違うてるで!」 と言います。

どれどれ? と見せてもらうと・・・難しい漢字の細かい部分を、適当にそれらしく、ちょこちょこっとごまかして書いていました。

それがなんだかおかしくて、1人でウププと笑ってしまいました。

奥さんは 「その年で自分の名前が書かれへんってあかんやん。この紙に練習し!」 と、紙を用意し、夫さんは80代後半にして大真面目に漢字の書き取り練習をしていました。

なんというか、そばにいると癒やされるいい夫婦です。

特に夫さんは天然と言われるタイプ、ほのぼの系で楽しいです。

その日もエレベーターから降りると、夫さんは早歩きで家に向かい、玄関を開けて 「ただいまー!」 と元気よく言いました。

リビングに一緒に行くと、奥さんが 「おかえり」 と言い、その後2人はなんだかんだと話しているうちにケンカになってしまいました。

ギャーギャーと言い争っています。

これもよくあることなので、私は聞き流しながら、片づけをしていました。

ふと見ると、夫さんがかぶっていた帽子が床に落ちています。

いつもは自分でどこかにしまっているのですが、リビングに来るなりケンカが始まったので、とりあえず脱いで置いたのでしょう。

しかし、モノは 「帽子」 です。

私は子供のころから、帽子をまたいではいけない、床に置いてはいけない、と言われて育ちました。

頭にかぶるものなので当然だと思います。

男の子である弟の帽子の扱いは特に厳しかったです。

うっかりまたいだりすると、出世が出来なくなるからダメ! と、よく母に叱られました。

ですので、夫さんの帽子が床に置いてあるその状態は、縁起が良くない、これはマズい、と思い、慌てて拾ってテーブルの上に置きました。

その瞬間です。

「ちょっと! 識子ちゃん! アンタ何してんの!」

すごい剣幕で奥さんが怒鳴ります。

「え? あの・・・帽子が床に落ちてたから・・・」

しまった、リハビリか何かで、自分で片づけさせると決めていたのかもしれない、と思いました。

余計なお世話だったのか、と・・・。

すると奥さんが言いました。

「帽子をテーブルに乗せたらアカンやん! 汚いやろっ!」

へ? (  ゚ ▽ ゚ ;)

き、汚い?

「頭にかぶるもんやでな! 帽子は!」

ええ、一応、それは知っているのですが・・・。

だからこそ、床に置いたままではいけないと思って・・・。

「何言うてんの! この人の頭のアブラが染みついてるやんか! 汚いに決まってるやろ! はよ! 床に置いてっ!」

は・・・はぁ・・・。

言われた通りに帽子を床に置きました。

「帽子は汚いし、くさいやろ! ごはん食べるテーブルに置いたらアカンやん!」

へー、そうなんだ、帽子を汚いと思う人がいるのかぁ、と驚きました。

「アンタな、これ、常識やで」

とまで言われ、衝撃的!  Σ(゚д゚;)  でした。

事務所に帰ってこの話をすると、 「私も拾ってテーブルの上に置くわ~」 と言った人が多かったのですが、  「帽子は汚いやろ~、私、ダンナの帽子触るのもイヤや! テーブルに置くとか考えただけでゾッとする」 という人もいて、考え方っていろいろだなぁと思いました。

私の常識では 〝帽子は床に置かない〟ですが、違う人の常識では、〝帽子は床に置く〟のです。

自分の常識に固執せず、柔軟に物事を考えなければ、と思いました。

なんだかとても考えさせられる一件で、私にはたいへん勉強になりました。