例えば・・・何日か有給休暇を取って、旅行に行くとします。
行き先が出雲であれば、出雲大社にお参りに行くだろうことは、周囲の人にも予想がつきます。
すると、同僚とか友人が「私の分もお参りしてきて~」「私の縁結びもお願いしてきて~」と言うことがあると思います。
さて、それを実行することはどうなのかというと・・・あまりいいことではありません。
お土産にお守りを買うのはいいことです。
お守りにはその神社の波動が入っていますから、それを渡すと、神社参拝ほどの恩恵はないにしろ、良い波動をもらえます。
が、参拝時に、神様に○○さんの分もお願いします、というお願いの仕方はありえないのです。
人間世界でも、何かの便宜を図ってもらう場合、挨拶に行くと思います。
それは知人の知人というツテだったり、遠い親戚のおじさんだったり、恩師だったりします。
失礼のないようにちゃんとした服装で、菓子折りなども持って行くでしょう。
そこで初めて会う人だったら、丁寧に自己紹介などもします。
便宜を図ってもらうことに関する意気込みとかも、そこでいろいろと話します。
その時に、「あ、僕の友人も、いいところに就職したいと言っているので、彼の分の紹介もお願いします」などという失礼な言動はしないのではないでしょうか。
あなたにピッタリの良い方がいらっしゃるのよ、とご縁を紹介していただく時に「私の同僚も彼氏を募集中なんです。同僚の相手も探してもらえませんか?」という図々しい依頼は、絶対にしないと思います。
同僚の人が良い縁談を欲しいと思っているのなら、自分で、紹介して下さる方のところに菓子折りを持って頼みに行くのが筋です。
神様も一緒です。
話のついでに、「あ、そうだ、別の人の分もお願いしますね」は、失礼になります。
でも相手は神様ですから、そういう失礼をしても怒ったりはしません。
が、やめておいた方がいいです。
では、病気や怪我などで参拝に行けない人の願かけはどうすればいいの? と思われると思います。
母親が病気になって遠出できない、でもどうしてもあそこの神様に病気平癒の願をかけたい、と頼まれた場合、完全に代理として行きます。
神様への自己紹介は、お母様の名前や年齢を言って、母親が来ることが出来ない理由を述べ、私はその娘で代理で来ました、とメインは母親であることをハッキリさせます。
自分の色は出しません。
お願いも、母親が願っているそのことだけしか、お願いしません。
〝私〟はその参拝では一切出さないようにします。
行くことが出来ない、その人の完全に〝代理〟・・・その人の肉体となっている感じで行きます。
もし自分も、その神様にお願いをしたいのであれば、日を改めて、後日〝私〟として行きます。
母親の平癒祈願を例にあげていますが、このお願いを聞いてもらいやすいのは、代理参拝ではないです。
私が〝私〟として行って、私に関する願かけは一切せず、母親の健康のことだけを一心に願う、という方法です。
この場合、母親にも、「願をかけてくるからね」などと余計なことは言いません。
人知れずこっそり行く・・・ところに意味があるのです。
代理参拝は〝母親から頼まれて〟母親の希望を背負って、母親の肉体の代わりとなって行きますが、こちらは私が私の意思で行き、私の願掛けが母親の平癒、という形です。
自分のことよりも、他人(血縁関係のことではなく、自分自身ではない他の人間、という意味です)を願う、その気持ちは、自己犠牲に通じる部分があり、とても尊いものです。
神様はその気持ちを尊重してくれます。
人の幸せを思って、心の底からそれを願う・・・この波動の高い願掛けは、叶えて下さることが多いです。