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今日は戦争の話を書きます。

私は戦争に関する話が苦手で、少し前までは積極的に読んだり聞いたりしませんでした。

話題になった映画も、ほとんど観ていません。

介護の仕事をするようになって、戦争の話をされるお年寄りと接することが多くなり、苦手だからといって聞かないわけにもいかなくなりました。

でも、いろんな人にじっくり聞けば聞くほど、戦争というものが見えてきました。

これは現在、サービスに伺っている80代男性、Eさんのお話です。

この話を聞いて、私はいろんなことを、たくさん考えました。

皆さんもそうだと思いますので、私の感想などは一切書かず、Eさんから聞いたそのままを書きます。

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僕はね、戦争の話を若い人にしたことがなかった。

家族や古い友人とは、あの時はこうだった、なんて話すことはあっても、若い人には語ったことはなかった。

それを今、後悔してるんや。

もっと多くの若い人に、戦争とはこういうもんやぞと、実体験を話すべきやったと思う・・・。

昭和20年の終戦の年、僕は中学3年生、14才やった。

その頃はもう学校なんか行ってへん、勤労動員で爆弾を作っていた軍需工場に毎日通っとった。

軍需工場で働くと、配給でサバ一匹とか石けんなんかがもらえたから、母親が喜んでな。

僕が通う学校は優秀な生徒が多かったから (注:偏差値の高い名門校です) ・・・いや、僕は劣等生やったけどな、 「防空補助員」 という役目を仰せつかってなぁ。

防空補助員、知らんやろ? 空襲警報が発令されると警察署に出動するんや。

警察官と一緒に働くわけやけど、初めて行った時は、何をしたらええのかわからへん。

昔は○○町に交番があってな、急いで行ってもどうしたらええかわからへんから、他の防空補助員の生徒と外に立っとった。

そこへ戦闘機が8機、飛んできた。

戦闘機は上空の斜め45度の方向にいる時が危険やと、僕らは教えられててな。

戦闘機の速度と、戦闘機までの距離、高度なんかを計算したらそうなるんかな? 

45度の角度にいる戦闘機の爆弾には当たる、それが50度になると、その地点で放った爆弾は自分の向こう側へ落ちる、安全や、とそう教えられた。

その時の戦闘機は50度近い角度に来てたから 「こりゃ、大丈夫だろう」 とみんなボーっと空を見てた。

そしたらいきなり警察官の1人が 「危ない!」 と叫んで、僕ら生徒を思いきり交番の壁に突き飛ばしてなぁ。

突き飛ばされて壁に激突して、倒れたところで、慌てて目と耳を覆ったんや。

耳は親指で押さえて、残りの4本で目を隠すんやで、わかるか? こうや。 (と、実演される)

ごっつい爆音が鳴り響いてなぁ、爆風でゴミやホコリが舞って、しばらくあたりが見えへんかった。

僕の左耳はこの時、覆い方が不十分やったから、鼓膜が破れてしもて聞こえなくなった。

せやけど、もし警察官が突き飛ばしてくれへんかったら、弾に当たって死んでた。

それから負傷した人たちが病院を目指して歩いていくのを案内したり、手伝ったりした。

僕がどうしても忘れられない光景があってな、この時に会った夫婦やねんけど、夫が自転車を押して、荷台に妻が乗っとった。

妻の左足はふとももの部分からちぎれていて、そのちぎれた足を妻は自分で持っとった。

僕は言葉が出なかった。黙って荷台を押して手伝った。

夫は、止血しているから大丈夫や、と言ってたけど、どう考えても、あの妻が助かったとは思えへん。

その時の光景は何度も何度も夢に見てなぁ、今はもう見ることはなくなったけど。

これが戦争や、と悲惨さを知った出来事やった。

次の空襲は夜中でな、一発、照明弾が落とされたら、真っ昼間のように明るくなった。

焼夷弾って知ってるか? 

あれは、36本の爆弾をひと束にしてな、上空200メートルあたりでバラけるように作ってあるんや。

バラけた爆弾は、瓦を打ち抜いて下まで落ちて、畳の上で燃えるように作ってある。

日本用の爆弾やな。

僕はその時、母親や妹らがいた疎開先にいたんやけど、 (注:町から徒歩で4時間位の距離) 父親が無事か気になって、夜が明けて町まで走って帰った。

町は焼け野原になっててなぁ・・・まったく人がおらへん。

誰もいない町を自宅に向かって走ってたら、喉が渇いて、水がないか探してると、水道が壊れてるところがあった。

パイプから水が流れている、その周りに炭がたくさんあって、なんで炭がこんなにたくさん置いてあるんかな、とよく見たら全部人間でな。

赤ちゃんを抱いたまま炭になってる人もいたし、天をこうして指さすように片手を上げて炭になってる人もいた。

そんな人間の炭がそこらへんにいっぱいあってな、みんな水が飲みたかったんやろなぁ・・・。

人間は炭になると小さくなるんやで、このままの大きさちゃうよ、半分くらいまでとは言わんけど小さく縮む。

悲惨な光景やったけど、これが戦争なんやと思うた。

グラマンっていう戦闘機があってな、機銃掃射いうんかな、機関銃みたいにバババって連続で撃てる飛行機でな。

それに襲われたこともある。

疎開先におった時で、2機飛んで来て、慌てて逃げた。

田んぼの手前でコケてもて、そしたら弾が僕のすぐ向こうをピュンピュンピュンって、田んぼの水に当たっとった。

怖かった。

グラマンが去って、慌てて家に入って、なんで攻撃してきたんやろ? と家族に言うたら、洗濯物を干してるからちゃうか? と母親が言うた。

ほんなら僕が取り込んでくるわー、てな、また外に出たんや。

物干し竿を両手で持った時、目の前に突然、一機のグラマンが現れた。

山の向こうからいきなり真正面に現れたから、逃げるヒマあらへん。

物干し竿を持ったまま、恐怖で尻餅ついて、ああ、もうアカン、と思たな。

グラマンはそれまでの戦闘機と違ごて、操縦席の窓がごっつう大きーてな、操縦してる人の顔が地上からでも見えるんや。

低空飛行してるしな。

僕は物干し竿を握ったまま、尻餅ついた姿勢で動けなくて、正面から来るグラマンの操縦席の窓を見た。

操縦士はサングラスをかけてたけど、一瞬、僕と目が合うたんや。

不思議な話やけど、ホンマに目が合うた。

その瞬間に、戦闘機はギューンと急上昇して、そのまま去って行った。

多分、操縦士は 「なんや、まだ子供やないか」 と思ったん違うかな。

鬼畜米英いうてたけど、相手も好きで戦争やっとったわけやないんや。

子供は殺したくなかったんやろと思う。

あの時、一瞬、目が合うた時に、僕は相手の操縦士と心が通じた気がする。

気のせいかもしれへんけど、僕はそう信じてる。

玉音放送は、何言うてるかわからへんかった。

今と違ごて、ラジオの性能が悪うてバリバリいうてたし、なんや難しい言葉で話されて、ようわからん。

戦争をちょっと休むんかな? とか、もっと頑張れ言うてはんのかな? とか、みんなさっぱりわからへんで、負けたと知ったのは、次の日になってからやったわ~。 

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