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熊野行きを計画したのは、実際に行く1週間前でした。

その時の天気予報では1泊2日の両日とも晴れだったので、晴れを確認して、レンタカーもホテルも予約しました。

それが、3日前の予報から、熊野本宮参拝日は ”曇り” になり、出発直前でも変わらず曇りの予報でしたが、雨は降らないみたいなことを言っていました。

それが前日、つまり、ホテルで見た天気予報では ”雨” になっていました。

ええーっ! と思いました。

でも、降るのは昼頃からとのことだったので、古道を歩く時間 (8時半~10時半) は大丈夫だろうと思いました。

少々の雨なら、神様が止めてくれるはず、とも考えました。

朝、ホテルを出る時は晴れていました。

神社の駐車場に車を置いて、バスを待つ間もお日様がサンサンと照っていました。 (バスで発心門王子という場所まで行き、そこから古道を歩いて本宮にお参りします)

なので、傘は車に置いて、持って行きませんでした。

バスに乗り、発心門王子に着くわずか15分の間に、雲がどんどん広がって、古道を歩く頃はどんよりと曇っていました。

それでも雨は降らないだろう、と高をくくっていました。

が、30分ほど歩いたところで・・・突然、雨が勢いよくザーッと降り出しました。

(  ゚ ▽ ゚ ;)  うっそー。

これが正直な気持ちでした。

残りの行程1時間半弱、この雨の中を歩いたら・・・全身ずぶ濡れになってしまいます。

うわー、ど、どうしよう・・・と頭を抱えたその時、とある民家の横を通ったのですが、なんと! その民家で中古傘を売っていました。

傘が3~4本置いてあり、代金は箱の中に入れるようになっていたのです。 (ちなみに1本300円でしたが、小銭がなかったので500円入れました)

降り始めた直後だったので、ありがたいことにほとんど濡れずにすみました。

それから考えました。

偶然にしては出来過ぎています。

しかも、古道で傘を売っていたのは、この民家一軒きりでした。

絶妙のタイミングで私に傘を与えた、ということは、これは意図して降らせているわけで・・・何で? どうして? と思いました。

浄化なのだろうか? だとしたら、こんなにも浄化しなければいけないって、いったい何の汚れがついているのだろう? とも思いました。

ここまで浄化されるような罪や黒い汚れがついているとは思えない、しかし、自分で気づいていないだけということもありうるし・・・と、とても不安でした。

結論から言えば、これは雨の日の参拝体験をさせられるため、でした。

晴れた日の古道は、スカッとした気が満ちていて、明るく元気で、透明なキラキラしたパワーがあって、そのパワーをもらえます。

そのパワーで癒されて、透明になる感じです。

躍動感があります。

これが、雨の日となると全然違うのです。

木や草が 「神様、恵みの雨をありがとう!」 という気を発していて、なごやかというか、まろやかというか、落ち着いた気が充満しています。

”静” のパワーをもらえます。 (晴れた日は ”動” のパワーです)

そうか! 雨は ”恵み” の雨なのだ、と今さらながら気づきました。

都会にいると、雨は鬱陶しく、傘を持って電車に乗るのは面倒だし、雨が降っていたら今日はツイてないな、とまで思ってしまいます。

でも、古代からずっと、雨は恵みであって、本来は喜ぶべきものなのです。

古道わきの草たちが嬉しそうにしていて、特に根が短く、これからぐんぐん伸びるぞー! という若草がすごく喜んでいました。

そういう気持ちが森全体から伝わってきて、 ”雨が降ってくれて良かったね” とほっこりした優しい気持ちになりました。

いつもの半分くらいの感覚で本宮に到着したことにも驚きました。

木や草花が出す感謝の念の中を歩くと、 (もしかしたら、大地も感謝していたのかもしれません) 体が軽く、背中を押してもらえたような、そんな感じでした。

雨が降っている日の参拝も決して悪いものではない、と神様に教えていただいたのです。

晴れた日とはまったく違う、この ”気” が必要な時もあるのだ、ということがわかりました。

「雨は浄化、という考えしかなければ、不安になるだろう」 と神様に言われたので、正直に 「何の罪を犯して浄化されているのかと、不安で仕方なかったです」 と答えました。

すると神様は優しい口調で 「同じように不安になる人もいよう、そうではないことを伝えなさい」 と言いました。

晴れた日にこの内容を、言葉だけで教わっていても、きっと深く理解は出来なかったと思います。

実際に自分が不安を体験させてもらい、雨の古道の素晴らしさを実感出来たからこそ、神様が言っていることの真の意味がよくわかりました。

ありがたいことだと思いました。

私という、まだまだわからない子に、こうして一つ一つ体験させて、根気よく教えていく神様の慈愛に感激しました。

そして、全国にいる雨のせいで不安になった人のことも、そんなふうに考えなくてよい、不安になるなよ、と思いやっておられる優しさにも心打たれました。

神様によると、雨は人間を浄化するだけでなく、 ”土地の浄化もする” そうです。

この日はこの土地を浄化しなければいけない、そのために雨を降らせなければいけない、という日もあるのだそうです。

そういう日にたまたま参拝しているだけなのに、神様に嫌われているのだろうか? と不安になることはない、と言っていました。

「天気と不吉を結びつけぬよう、それも伝えなさい」 とのことでした。 (この不吉とは、暗澹たる不安とか、縁起が悪いとか、そういう禍々しいものすべてを言っておられます)

熊野本宮大社に着いて境内に入ると、お社の上から天に向かって霧が立ち昇り、雲の隙間からはわずかに日が射していて、とても幻想的で神秘的な光景になっていました。

写真を撮りたかったのですが、境内の中は撮影禁止です。

泣く泣く諦めました。

この後、昔、熊野本宮大社があった場所、 「大斎原 (おおゆのはら)」 へ行きました。

ここでもいろいろと教えてもらい、ゆっくりさせてもらって、心身ともにリフレッシュしました。

本当に熊野本宮は素晴らしい神社であり、やっぱり私は熊野の神様が好きだなー、と再確認した参拝となったのでした。




古道の草です。神様、雨をありがとう! という気持ちが写真からも感じ取れます。
熊野古道1




雨の古道は、景色もしっとりしていて悪くないです。
熊野古道3




こんな小さな草がとっても嬉しそうでした。
熊野古道4




熊野本宮大社の境内に入る神門です。境内の中は撮影禁止です。
熊野本宮1




神社入口の鳥居です。格が高い堂々とした雰囲気が伝わるかと思います。
熊野本宮2




大斎原の鳥居です。見にくいかもしれませんが、ちょうど真ん中の下にオレンジ色のカッパを着たおじさんがいます。このおじさんと比較してもらえれば、鳥居の大きさが実感出来ます。
大斎原1




大きな鳥居をくぐって林を抜けるとこの場所に出ます。石段を上がれば旧社地で、まっすぐ行けば河原に出ます。

大斎原2




林を抜けた向こうに川が流れています。
大斎原3




私はこの川で手を清めさせてもらい、頭頂部にも2~3滴たらして簡易滝行をさせてもらっています。暖かい季節だと、足も浸らせてもらいます。
大斎原4




神様が目の前で雲を作って下さいました。
大斎原5




本当にすぐ目の前で、うわぁ~、すごい! と感嘆の声がもれました。
大斎原6




大斎原の入口から撮りましたが、広さがイマイチ伝わらないです。
大斎原7




昔、本殿があったところです。
大斎原8




こちらはその向かい側にある、一遍上人の石碑です。以前、私が天狗に驚かされた花束があった所です。
大斎原9




熊野本宮大社から五條に向かう道です。霧がすごいです。
霧1




こういう天気だから見ることが出来る光景もあったりして、雨も悪くないなー、と最後まで思えた熊野参拝でした。
霧2





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