私はキリスト教に触れることなく育ち、大人になっても近しい人にクリスチャンがいなかったので、イエス・キリストという人について興味を持たずに長年過ごしました。

クリスチャンである元夫と結婚し、いろいろな話を聞くうちに、少しずつ惹きつけられていきました。

それから自分でもいろいろと調べたり、本を読んだりして、私なりにキリストという人を勉強しました。

”ダ・ヴィンチ・コード” という映画が公開された時、元夫と一緒に見に行きました。

元夫は柔軟な考えを持ったクリスチャンですので、 「ジーザスは (私たちの間ではこう呼んでいます) 本当に結婚してたんちゃうかなぁ」 と言いました。

「そうかもね~、ジーザスだって人間だもんね」

「もし結婚してて、妻を愛して大切にしてたとしたら、オレ、それは素晴らしいと思う。そうであって欲しいなぁ」

「私もそっちのジーザスの方が好きだなー」

そんな会話を交わしました。

キリストと言えども人間だし、女性を愛おしいと思う感情は備わっていたはずで、結婚して子供がいたとしても何の不思議もないし、というか、そっちの方が自然なのでは・・・と2人で話しました。

それから何年かたって、私は自分の前世をしっかり思い出しました。

エルサレムに生まれた私は、男の子でした。

少年の奴隷でした。

親に捨てられたのか、売られたのかは定かではありませんが、とにかく奴隷として働いていました。

そこの家は、キリストを支援している人の家だったと思います。

連日、人が集まって何やら議論をしています。

晩御飯を食べながら、いろんな会議っぽいことをしています。

家の人とお客さんは大きなテーブルで食事をしています。

その家は裕福だったようです。

私の名前は ”ハンジャ” と ”アンジャ” の中間みたいな発音をする名前です。

住んでいたのは、ハッサンという町(通り?)です。

私は奴隷ですから、器に食べ物を入れてもらっても、テーブルで食べることは許されません。

部屋の隅っこにうずくまって、 (床は地面だったような気がします) 素焼きの深皿を抱えてガツガツと動物のように食べています。

ガリガリに痩せています。

食べているその時の服装は、ターバンみたいな感じで布を腰から股にうまく巻いてパンツにしたものと、上は薄汚れたノースリーブの麻の服です。

ある日、キリストがやって来て、私はキリストの泥というか砂で汚れた足を一生懸命に洗っていました。

するとキリストが、私の頭に手を置いて何か言いました。

詳しい内容は覚えていないのですが、何か褒めてくれたような感じです。

痩せこけて汚い姿の奴隷の私はビックリしました。

顔を上げるとキリストが私に微笑んでくれていました。

キリストは波動が神様並みに高く、その波動を持ったまま肉体に入っているので、キリストの周辺の空間は明らかに歪んでいました。

暑い夏のかげろうのように、歪んで見えるのです。

キリストのオーラは太陽のように白く眩しく輝いていて、ハッキリ見えます。 (後光と言われる後頭部のところです)

自分に見る能力があったから見えたのか、他の人にも見えたのかはわかりません。

でも、ほぼ物質化しかけていて、触ったら確実に感触があったと思います。

頭に置いてくれている手からのエネルギーがすごかったです。

見るからに「普通の人間」ではありませんでした。

次に覚えているのが、処刑場に歩いて行く場面です。

キリストは、よく映画で見るように十字架を背負っているのではなく、静かに歩いていました。

私はその時、大人でした。

だいぶん前に、クリスチャンの方から、私の前世の記憶についてメッセージをいただきました。

キリストが活動をしていたのは3年くらいとされています、奴隷だった少年が大人になるには10年はかかったでしょうから、その部分の時間が合いません、みたいな内容でした。

私の記憶だと、少年は10~11才で、処刑場では18才くらいになっていました。

それでいくと最低でも、7年は活動をした、ということになります。

足を洗ってあげた時のキリストは活動を始める前のキリストだったのか・・・。

自分の年齢を間違って思い出すことはないと思うのですが、何かどこか別の人生と混同しているのか・・・。

うーん、うーん、と考えてみましたが、 ”いや~、やっぱり、キリストが頭に手を置いてくれた時の私は少年で、処刑される時は青年になっていたわ~” という結論になりました。

大幅に話がそれてしまいました。

話を元に戻します。

前世のその時に見たキリストを、ハッキリと思い出した私の考えは一変しました。

神様や仏様並みの波動を持ち、あの後光を放っている人が、恋愛感情を持つとは思えないのです。

ましてや子供を作る行為は、しようとも思わないでしょうし、体の周囲の空間が歪んでいるくらいの波動エネルギーなのです、実行するのは不可能ではなかろうかと思います。

十字架で言ったとされる言葉、 「神よ、どうして私をお見捨てになったのですか」 ですが、あのすごい人がこの言葉を言うかなぁ、とこれも素朴な疑問として思います。

神様や仏様並みの波動を持つということは、それだけ霊格も高く、神仏並みに悟っているはずで、この言葉を発するとはどうしても思えないのです。

ここで元夫と、キリストに対する考えが違ってしまいましたが、2人とも、人はどう考えようと自由だと思うし、意見を押し付ける気持ちもサラサラないので、お互いのキリスト像を尊重して議論はしていません。

前世を思い出して1年くらいたった頃でした。

私は瞑想をしていました。

いろいろと人生や神仏について考えていたら、突然、頭上に透明な細い筒状の道が現れました。

その筒は上へ上へと伸びて、先端が宇宙にまで届きました。

”うわー! これは何だろう?” と見ていると、宇宙からのエネルギーと光が、その筒に流れ込んできました。

”へぇー、これが宇宙と一体化するってことか~” と思いました。

今、これを書いていて 「なんか、うさんくさいわぁ」 と、読んでる方が引くのでは・・・という不安にかられていますが、続けます。

でも、こんな変わった体験は、この時の一回きりしかありません。

で、宇宙と一体化していたら、今度はいきなり、花が咲くように先端がパカッと大きく開き、細い筒は逆三角錐になりました。

道路などに置いてあるコーンを逆さまにした感じです。

それがぐーんとワイドに広がって、頭上におおきなじょうごが出来ました。

その中は本物の宇宙と繋がっていて、私の意識はそこへ吸い込まれ、 「そうそう、宇宙の感触ってこうだった」 などと思っています。

キラキラ輝く星に混じって、銀河がゆっくり回転しているのも見え、 「すごいなー、美しいなー」 と見とれていると、その宇宙空間に神々の姿が浮かび上がって見えてきました。

姿、と言っても光なのですが、その光が下 (手前) からず~っと上空というか、彼方へと続いているのです。

神々にはどうやら等級があるようでした。

手前から、高級になるにつれて、上へ上へと昇っていくみたいです。

そのはるか上空に、キリストがいるのが見えました。

もちろん光でしか見えませんが、何故か、キリスト、とハッキリ見えるというかわかるのです。

あんな上空にいるのか、と思いました。

他の、例えば山岳系の神様はどのあたりなのか、観音様はどのあたりなのか、が、わかれば比較出来るのですが、キリスト以外はわからなかったので、そこはちょっと残念でした。

キリストという人間が死んで、それから徐々に神様になったのではなく、元々、霊格が高い神様が何らかの事情で地上に生まれてきた、それがキリストだった、私にはそう見えました。

キリストは ”神 (唯一無二の絶対神の方です) の子” というのを、以前は、ハクを付けるためのハッタリだと思っていましたが、あながち嘘じゃないのかも、と思いました。

キリストは人々が思うより (クリスチャンではない人々です) はるかに霊格の高い神様だった、というお話でした。



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