Mさんは男性で、脳梗塞による半身不随があり、認知症もかなり進んでいます。

一日じゅうぼんやりと無言で過すことが多く、笑うことも怒ることもありません。

スタッフが話しかけても、返事はするものの表情は動かず、感情がまったくないように見えます。

今がいつ、ここはどこ、がわからないので、たまに自分が昔していた仕事の指示を、私たちスタッフにしたりします。

「看護婦さん、固定している足が痛いのではずして下さい」 とはるか昔の入院中の時期に戻ったりもします。

いろいろ試してみた結果、大学時代~就職の頃の話、および、Mさんがしていた仕事の詳しい内容に関してのみ、話をしてくれることがわかりました。

でも、話をしてはくれますが、感情は動きません。

Mさんは、怒ったり、喜んだり、悲しんだり、笑ったりとか、そういう心の動きがほとんどないのです。

そんなMさんですが、食欲は旺盛で、モリモリと何でもよく食べます。

食事を残すということがありません。

ですが、月に一回程度の割合で、食事を残していることがあります。

それも、一品だけ、ちょっと箸を (正確にはスプーンですが) つけただけで、ほぼ全部残すのです。

Mさんのそばを通りがかった先輩は 「Mさん、これも食べてね~」 と介助用スプーンですくってMさんの口に入れます。

そうされるとMさんは逆らわずにモグモグと食べます。

最初は、嫌いなお料理なのかな、と思っていました。

そのうち、残している品は他の入居者さんが 「美味しい」 と言っているものであるとわかりました。

食事介助はつかなくていいMさんなので、わざと何回もそばを通り、根気よく聞いたところ 「ケイコにあげて下さい」 と言うのです。

ケイコ、というのはMさんのお孫さんです。

もう成人されていますが、Mさんの中では3歳とか4歳とか、それくらいのまま成長が止まっているのかもしれません。

「これはね、とっても美味しいから、ケイコに食べさせてあげたい」 そう言うのです。

涙が出そうになりました。

認知症が進んで、感情もなくなって、何もわからないようでも、孫を愛する気持ちは残っているのですね。

食欲旺盛なMさんですから、食べることは好きなはずです。

大柄な人なので、一品食べないと足りないのに、可愛い孫に美味しいものを食べさせてあげたいから、自分は手をつけずに我慢する・・・。

人を思う気持ちは尊いなぁ、と思いました。

”可愛い100歳” という記事で書いた、100歳になる女性のNさんが先日、言いました。

「私、いつまでここにいていいの?」

「ずっといつまでもいて下さいね。Nさんがいてくれると毎日が楽しいから」 と答えると 「ホント?」 とホッとしたような、嬉しそうな顔をしています。

「私ね、どこにも行くところがないの・・・」

Nさんの御主人は早くに亡くなっていて、子供は娘さん1人だけです。

「娘が1人いるのだけど、夫がいるし、娘には娘の家庭があるから迷惑はかけたくないの。でも私、どこに行ったらいいのかわからないの・・・」

「ここにいて下さい。私、Nさんにずっといてもらいたいです」

「本当にいいの? ここ、ホテルみたいだけど・・・ずっといていいの? ありがとう! ありがとう!」

そう言って、Nさんは私に手を合わせて拝む仕草をします。

娘さんがいるのですから、いざとなれば行くところはあるのです。

が、そこへは行けない、行きたくない、よって自分には行くところがない、と不安なのですね。

大切な娘には迷惑をかけたくないという、娘を大事に思う気持ち・愛する気持ちがダイレクトに伝わってきて、涙が出そうになりました。

自分にはいくら行くところがなくても、娘の幸せは邪魔しない、という親心です。

美しいと思います。

何回か記事にしたFさんは特にそれが強いです。

そのFさんが、先月、風邪をひきました。

高熱が出て、痰もたくさん出て、とても苦しそうでした。

いつもは笑ったり、話もよくしてくれますが、この時はさすがにしんどかったようで、声をかけても目を閉じたままでした。

夜になって娘さんが来て、その日夜勤だった私と一緒に、着替えをさせていた時です。

娘さんと私は、ごく普通の世間話をしていました。

すると突然、 「家に帰りたい・・・」 とFさんが言いました。

今まで、ただの一度も言ったことがない言葉です。

Fさんに認知症はありますが、自分が家に帰ると娘さんに迷惑がかかる、ということはわかっています。

ですから、本当に一回もそういうことを口にしたことはありません。

この時は熱があり、痰によって呼吸もしづらいようで、よほど苦しかったのだと思います。

死を覚悟したのかもしれません。

その時に脳裏にあったのは、Fさんが、奥さんと長年一緒に暮らした我が家、だったのだと思います。

その家で子供を育てあげ、人生のいろんな思い出がいっぱいつまった、本来自分がいるべき場所・・・。

そこに戻りたいと心から思ったのでしょう。

多分、日頃から帰りたい、帰りたいと考えていたのでしょうが、娘さんに迷惑をかけたくない一心で、口にしなかったのだと思います。

でも、人生の最期となると、もう一度だけ我が家に・・・という思いがあふれ、つい口からこぼれてしまったという感じでした。

「うん、うん、家に帰りたいよね。わかるよ、父さん。帰りたいね」

娘さんはFさんの頭を撫でながら、笑顔で声をかけていましたが、目に涙がいっぱい溜まっていました。

娘さんも私も、もしかしたら本人も、つまりそこにいた誰もが、もう二度とFさんが我が家に帰ることはないと知っているのです。

Fさんの状態では在宅介護は出来ませんし、一時帰宅でさえ無理です。

たった一つの願望が ”家に帰りたい” という、普通の人が何気にしていることなのが、とても切なくて私も泣きました。

そして、そのことを口にすると、可愛い娘が困る、娘を困らせたくない、という愛情から、今まで一切言わずに過ごしてきた、Fさんの思いやりにも心を打たれました。

その後、幸いにしてFさんの体調は回復し、いつもの日々に戻りました。

そうなるとFさんは ”家に帰りたい” の ”い” の字も言いません。

認知症があって、いろんなことを忘れたり、何もわからなくなったり、喜怒哀楽がなくなったりしても、娘や孫を愛する気持ち、思いやる気持ちは心の底にいつまでもあって、それは消えないのだ、とわかりました。

人間は本当に素晴らしい、と思います。

そしてそれを教えてくれる認知症の方々に感謝です。




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