神仏に縁をもらうとは、どういうことをいうのか・・・について書きたいと思います。
これは感覚でキャッチするものなので、ちょっと説明が難しいのですが、頑張って書きたいと思います。
声が聞こえて、会話をしたからといって、縁がもらえるわけではありません。
一回行っただけでもらえる場合と、何回も通ってやっともらえる場合とがあって、これはそれぞれです。
明確なルールみたいなものがないのです。
というのは、縁がいただけるかどうかは、神仏の心証次第、だからです。
子供の頃から、その神社、もしくは仏像に、定期的に参拝しているような場合、縁はいただけていると思います。 (よほどの失礼をしていない限り)
大人になっても、定期的に参拝しているところは、いただけている可能性が大きいです。
ですが、一回こっきりしか行っていなくても、縁をいただけることもあります。
その ”縁をもらえる” と、どうなるのか・・・。
まず、守ってもらえる濃度が濃くなります。
どこにいても、その神仏にこちらの声が届くし、神仏の方もお守りなどの目印となるものを身につけていなくても、こちらの居場所をわかってくれます。
なので、窮地に陥った時や、危急の場合 「助けて!」 と言えば、飛んで来て助けてくれます。
自分で危機だと気づいていない、例えば事故に遭う直前なども、神仏の方で察知してくれて、飛んで来て事故から救ってくれます。
”縁がいただける” = ”より一層のあついご加護がもらえる” であり、そうなると、お願いも聞いてもらえることが多くなります。
仏様だと真言の威力が増し、 ”自分に” 悪影響を及ぼす悪いものが祓えます。
要するに、すごーく特別に可愛がってもらえるようになるわけです。
その ”縁” は、どうしたらもらえるのか・・・。
とりあえず、最低条件として、初めての参拝時には、正式に丁寧に挨拶をすることです。
自分、という人間を知ってもらわないと縁はもらえません。
二回目以降も、たくさん話しかけて、いろんなことを知ってもらって下さい。
そして、こちらから 「縁を下さい」 とお願いしてはダメです。
私を特別視して下さい、私をヒイキして下さい、私を可愛がって下さい、と言う人間は、神仏が嫌悪する部類に入ってしまいます。
これは、あくまでも神仏側の判断によるものですので、へたにおねだりしてはいけません。
その神仏のことが好きで、深く素直な信仰心を持っていて、何回か通い、行くたびに丁寧にいろいろ話しかけていれば、たいていの場合、縁はもらえます。
さて、こうしていろんな神社仏閣を訪れていると、いくつもの縁をあちこちでもらうことになります。
そんなかけもち状態は失礼ではないのか、それはいいのか・・・。
いいです。
私なんか、多くの神様・仏様から縁をいただいています。
でも、それらたくさんの縁はからまることはありませんし、 「たくさんの神仏から縁をもらっているなら、ワシはもういいだろう、さようなら」 なんていう神仏はいません。
一度、縁をくれたら、一生守って下さいます。
神様たちも、その人が他の誰と縁を結んでいるか、ちゃんと知っています。
どうやらその人間の後ろに見えているみたいなのです。
ここで、余談ですが、規模の小さなお稲荷さんなどは、一回行ったきりでも、縁をくれてしまいます。
お稲荷さんだけは、縁が出来てしまうと、コンスタントに参拝に行かなければなりません。
参拝に行っている間は守ってもらえ、祈願も叶えてくれますが、参拝をやめると良くないです。
それでも、そのお稲荷さんに他の多くの人がたくさん参拝して賑わっている状態なら、障りはありません。
しかし、人々の足が遠のいてしまったような、うらぶれた状態になると 「何故、お参りに来ないのだ!」 と叱られます。
叱られると障りが出ます。
格が違う伏見稲荷などは大丈夫ですが、小さな祠や小さな神社などは、気をつけた方がいいです。
でも、定期的にお参りが出来るのであれば、お稲荷さんは願いを本当によく叶えてくれるので、ありがたい存在です。
では、神社仏閣で、 ”縁を下さった” とわかるのは、どういう時か・・・。
神仏が 「お前を守ってやる」 とはっきり言ってくれる以外は、感覚で認知しています。
その感覚は、なんというか、 ”繋がった” と確実にわかる感覚なのですが、別の言葉で言えば、その神仏が自分を丸々包む感じ・・・そして、自分のことを好きだということが伝わってくる感じです。
寒い冬のひなたぼっこで、太陽がほんわか暖かくて気持ちいい~、癒される~、みたいな感覚の、もうちょっと幸福感が強い版 + 愛されてる実感、といったところでしょうか。
はぁ? そんな表現じゃ、ようわからんわ~、とあちこちから聞こえてきそうです。
ああ、説明が難しい~ (>_<) これはもう、自分の直感でしか感じられないので、頑張って感知して下さい、としか言えないです。
心を静かに研ぎ澄ませて、神社ならお社を見たり、空を見たり、周囲の木々を見たり、風を感じたりしてると、 ”神様はこうおっしゃってるのかな” とわかってくると思います。
仏像なら、お香の香りを感じて、ロウソクの炎をぼんやり眺めたり、じっと仏様のお姿を見ていると、何かしら心に響く言葉が感じ取れるはずです。
”ああ、優しいなぁ~” と感じたら、縁がもらえている可能性大です。
縁がもらえたら、期間に決まりはありませんので、行ける時にまた参拝に行って下さい。
もしも、遠方で、何年も行けなかったとしても大丈夫です。
行けない期間は、時々、そちらの方を向いて手を合わせて下さい。
私は出羽三山に一回行っただけで縁をいただけましたが、遠すぎて、まだ二回目の参拝は行けていません。
行ってからもう3年以上が過ぎていますが、時々、出羽三山の神様を心に思い描いて、家の中で手を合わせています。
神様は高級霊ですから、遠方で来れない事情も知っていますし、そんな小さなことぐらいで怒ったりしません。
山岳系神様となると、さらに懐は深く、一生に一回しか行けなかったとしても問題ないです。
理解して下さいます。
でも、行けるのであれば、時々は行った方がいいです。
行けば行くほど、ますますあついご加護がもらえるようになるからです。
以上が、私が自分で体得した ”神仏に縁をいただく” ということの説明です。
感覚を文章で説明するのは難しいです。
うまく伝わっているといいなぁ、と思います。
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