認知症の不思議という記事で紹介した、Fさんの続編です。

Fさんは80代の男性、胃ろうをされていて、寝返りも出来ない寝たきり状態、認知症も重度です。

深夜に時々、クリアな状態になるものの、昼間は認知症がひどく、話しかけても理解出来ないのかポカーンとしています。

そのFさんのお世話をして感じていたのは、Fさんが胃ろうを寛大に受け止めていることでした。

胃ろうをしたことにより、寿命が5年、10年、長ければ15年くらい延びることになります。

認知症もなく体も自由に動くのであれば、寿命が延びるのは喜ばしいことですが、Fさんは自分で寝返りすら出来ず、スタッフに体の位置を変えてもらい、部屋の一角をぼーっと見て一日を過ごしているのです。

紙オムツをしていますから、しょっちゅうスタッフにオムツをめくられて、排泄をしていないか確認されます。

夜中に熟睡していても確認され、オムツが汚れていれば、有無を言わさず交換です。

決まった時間になると、胃の中に栄養と薬を流し込まれ、 ”今日はお腹の調子が悪いからやめとく” などと拒否は出来ません。

認知症が重度なので、普段は誰とも会話はしないし、テレビなども見ません。

ただ時が流れていくのみ・・・なのです。

その状態で生きていくことが延びたのに、胃ろうをされたことに関して、まったく不満がないのです。

認知症だからわからないんじゃないの? と思われるかもしれませんが、違います。

Fさんの魂が、 ”胃ろうをされて、この体でまだまだ生きることになってしんどいけど・・・まあ、しゃーないわなぁ” と考えているのです。

”肉体が力尽きるまでちょっとしんどいけどなぁ、生きるわ・・・” という考えが、Fさんの手や足をさすってあげている時に伝わってきます。

しんどいけど・・・と思っているということは、積極的に ”生きたい!” というわけでもなさそうです。

何故? この人は何故、そこまで大らかに受け止められるのか・・・悟りをひらいたようなその考えはどこから来るのか・・・と、それがとても不思議でした。

性格? かな? と思うことで、そのことは特に気にしていませんでした。

Fさんには息子さんと娘さんがいます。

息子さんは東京の大学へ行き、そのまま向こうで就職して、家庭を持ち、ほとんど関西に帰って来ないそうです。

仕事がとても忙しいらしいです。

娘さんの方は出来た人で、毎日のように面会に来られます。

たまに3~4日あくことがあるものの、ほぼ毎日、大体夜の8時頃に来られ、1時間~1時間半をFさんと過ごして帰られます。

ほぼ毎日来るのに、ちゃんと父親の為に、1時間以上は時間を取ってあげているのです。

他の入居者さんの場合、面会に来るのは平均して月に1回程度ですから、娘さんの親孝行さには頭が下がります。

主婦をされてて、家のことが一段落ついてから来られているのだろうな、と私は思っていました。

先日の夜勤の時に、Fさんをパジャマに着替えさせていたら、娘さんが手伝ってくれました。

その日、Fさんはとても眠かったようで、体を動かされるたびに、イヤそうな顔をしていました。

娘さんが笑いながら 「父さん、怒ってんの?」 と聞くと、Fさんはうなずきます。

「えー? 私に怒ってんの? 私に怒ったらどうなると思う? 後が怖いよ~」 と言うと、Fさんは娘さんを見つめ、微笑んでいました。

その顔が慈愛に満ちた、まろやかな表情で、何とも言えない温かいオーラを感じました。

重度の認知症であっても娘さんだけはわかるし、娘さんを愛する気持ちは忘れていないのだなぁ、と思いました。

その後、娘さんと話をしていて、娘さんは独身・一人暮らしであることがわかりました。

お仕事をされているので、仕事が終わって面会に来る為、どうしても8時頃になる、という話でした。

時々、出張があり、それで3~4日来られない時があることもわかりました。

Fさんの奥さんがガンで亡くなる時は、Fさんに面会した後で、母親の病院にも毎日通った、と言っていました。

本当に親孝行娘なのです。

出来た人です。

その日の深夜のことです。

Fさんと話をするのを楽しみにしていたのですが、Fさんはやっぱり眠たそうで、ウトウトした状態で目はつぶっていました。

「Fさんの娘さん、優しいですね~」 「Fさんの育て方が良かったのでしょうね」 と話しかけながら、オムツの交換をしていました。

Fさんは聞いているのかいないのか、返事はなく、黙っています。

「Fさん、娘さんの為に長生きしなきゃですね~」 と言うと、それまで半分寝ていたFさんは、目を開けて私を見つめ、ニッコリと微笑んで 「うん」 と大きな声でハッキリ言いました。

その時に、Fさんの感情が私にダーッと流れ込んできました。 (血液の酸素濃度を測定する器具を指先に付けようと手を触っていたので全部入ってきました)

”息子には家庭があり東京でうまくやっている、だから心配いらない。
でも娘は一人ぼっちで誰もいない。
去年、母親を亡くし、自分まで死んでしまったら、娘は愛情をもらえる人を失ってしまう。 (ここで、娘さんが面会に来て、仕事のストレスをFさんに話している場面が見えました。父親を心の支えにしているようです)
だから胃ろうでも何でも娘が自分の体にすることは拒まない。
大事な娘を孤独にさせたくない。泣かせたくない。
娘の為なら体がしんどいことくらい我慢出来る。

一日でも長く生きててやりたい・・・”

可愛い娘を想う、あふれんばかりの愛情が部屋中に広がって、泣けました。

 

自分だけならば、動かなくて重たい肉体はサッサと脱ぎ捨てて、身軽なあちらの世界に早く帰りたいと思うでしょう。

 

そして元気いっぱいの新しい肉体で生まれ変わり、思いっきり飛んだり跳ねたりしたいはずです。


それを、その体で・・・さらに寿命が延びるのがどれだけしんどいか・・・と想像すると涙が止まりませんでした。

”親思う心にまさる親心” という言葉が浮かびました。

親の子供に対する慈愛はどこまでも深く、そして、人を愛する心はこんなにも美しく崇高なものなのだ、とFさんに教えられました。

久しぶりに心が純白になるほど洗われ、人間って素晴らしいなぁ、としみじみ思った出来事でした。