先日、元夫と話をしていて驚いたことがあります。

元夫は生まれた時からクリスチャンなので、仏教に関しての知識がまったくありません。

街頭募金詐欺のニュースの話から、お坊さんの托鉢の話になりました。

元夫が 「なんでお坊さんが募金してもらうん?」 と聞いてきたのです。

((((((ノ゚⊿゚)ノ ひ~え~、と思いました。

そこで元夫に、托鉢の意味を説明しました。

托鉢しているお坊さんの鉢にお金を入れることを ”喜捨” と言い、これは ”布施” の一種です。

喜捨はみずからの功徳を積むために、(施した功徳は本人に返ってくるとされていますが、私は天に貯金をしていると思います) 喜んでお金を差し出す行為です。

お釈迦様のエピソードから説明しました。

一緒に托鉢にいく僧が金持ちの村に行こうとしたので、お釈迦様はそれを止めたのだそうです。

貧しい村に行くべきだ、とお釈迦様は言い、その理由を話しました。

「布施は貧しい者ほどしなければならない。彼らが現在貧しいのは、布施の功徳を積まなかったからである」

だから彼らに、お布施をする機会を与えてあげよう、と言ってるのですね。

お布施は、お金に対する執着の心を取り除くための ”行” の一つでもあります。

ですから、喜捨は ”する” のではなく ”させてもらう” のです。

鉢にお金を入れる時は、 「喜捨をさせていただく機会を与えて下さってありがとうございます」 と、こちらがお礼を言うべきなのです。

お坊さんに受け取ってもらうことによって、そのお金は初めてお布施となり、一回の ”行” となるわけで、お坊さんが受け取ってくれなければ、お布施にはならないからです。

「へー、そうなんや~」 と元夫はビックリしていました。

「募金やと思てたから、お金を入れたら、お坊さんがありがとうって言うんやと勘違いしてたわ~」

・・・・・。 ( ̄_ ̄ i) 

元夫は、今まで托鉢僧の鉢にお金を入れたことがないけど、もし入れてたら、 ”俺、募金したった!” という上から目線の気持ちになっていたに違いない、と言います。

「あぶなかったー。今度、お坊さんを見たら、謙虚な気持ちで喜捨してみる」 と言っていました。

お布施は托鉢僧や寺社に対してしか出来ないのではなく、寄付などもお布施です。

ですが、無理をしてする寄付は、惜しむ心なく喜んでする ”喜捨” にならないので、出来る範囲で、というのがポイントだと思います。

私は以前、毎月口座から引き落とされる寄付をしていました。

離婚をして経済的に苦しくなった時に、通帳を見て ”ああ、そうか、このお金が落ちるんだった・・・” と暗くなったことがあります。

そこそこの金額を設定していたので、負担が大きかったのです。

その時に、自分は今の状況ではこの寄付を、無理して・・・つまり喜んでやっていないのだ、と気づきました。

それで一旦、自動引き落としの寄付はやめました。

それからは出来る時に、振込で寄付をしています。

ユニセフは一回寄付をすると、定期的に振込用紙とシールを送ってきてくれるので、いつも一枚財布に入れています。

テレビで難民を見たりして、寄付したい! と心から思った時に、すぐに郵便局に行くことが出来るので便利です。

金額は関係ないと思うので、たとえ千円の余裕しかなくても、したいと思った時は堂々としています。

コンビニで小銭を寄付することも立派な寄付で、これは小銭がなくなってお財布が軽くなるから、本当の意味での喜捨と言えそうです。

つまりは、出来る範囲で心を込めて施せる・・・これが重要なのではないかと思っています。


追記: 私は宗教団体への献金には否定的な考えですので、献金等の話ではありません。今日の話はごく普通の一般的な寄付についてです。




クリックしてもらえると嬉しいです。 (*^_^*)
ひっそりとスピリチュアルしています-ブログランキングへ
 このバナーをクリックしてもらえると、ブログランキングというサイトに点数が入ります。(1人1日1回のみ)


多くの方にクリックをしていただければ、ランキングの上位になるので、初めてランキングサイトを訪れた人に読んでもらえる可能性が高くなります。


1人でも多くの方に読んでもらえたらいいな、と思って、日々頑張って書いておりますので、クリックをしていただけたら嬉しいです。

よろしくお願いします。
(*^_^*)