先日、要支援2の方がシャワーチェアを買いたいとのことで、行ってきました。

新規の利用者さんで、女性の方です。

浴室計測、選定、書類記入・捺印、すべてを終えて、さて帰ろうとしたところで、コーヒーをいれたので飲んでいって、と言われました。

足がお悪いのに、歩いて台所まで行っていれてくれたので、さすがに断るのは失礼だと思い、いただきました。

コーヒーを飲みながら利用者さんは、最初はテレビの話をしていましたが、何故か戦争の話になりました。

「近所にいた学生さんたちは、みなさん、自分がお国を守るんだ、と言って次々に志願してね、戦地に行かれたのよ~」

「え? それは特攻隊? ですか?」

「そうよ」

「国に召集されたから行ったのではないのですか? 学校に行くように言われたとか?」

「違うわよ、みなさん、自分から志願されたのよ。まだ若い学生さんだったのに立派でしょう?」

それを聞いて思わず涙ぐんでしまいました。

というのは、私の前世は特攻隊員、それも少年飛行兵だったのですが、国に召集されたから行ったのだとばかり思っていました。

でも実は、自分の意思でこの国を守るために志願していたのでした。

望んで行った特攻隊だったのか、そうか、よくやった私、と思いました。

「このあたりも空襲があってね」 と利用者さんは続けます。

空襲で電車が止まったけど、戦地で頑張っている兵隊さんを思うと、自分も何かしなければ! という気持ちになり、川に架かる鉄橋を歩いて渡り、3時間かけて学校に行った、と言っていました。

電車が止まったくらいで家にいるなんて、兵隊さんに申し訳ない、と思ったのだそうです。

昔の人は本当に純粋な美しい気持ちを持っていたのですね。

いいお話を聞かせてもらって、すがすがしい気持ちでその利用者さん宅をあとにし、次の利用者さんのお宅へ行きました。

次の利用者さんは要支援1の男性で、浴槽台の購入です。

そこでも、帰りにお茶を出され、少しお話をしました。

その方は兵庫県たつの市の某高校出身だと言い、そのお話になりました。

龍野藩は赤穂藩と深い縁があり、その学校の昔の生徒は全員、毎年行われる義士祭に参加していたそうです。

昔なので、歩いて赤穂まで行ったと言います。

「片道4時間ちょっとかかりましてね~」

「それはすごいですね」

「私たちは赤穂義士の忠誠心を教え込まれていましたから、私の学校は、特攻隊に志願する人がとても多かったんですよ」

「え!」

「私の先輩はみなさん、自分も自分も、と大勢志願されて、お国を守る為に戦地へ行きました。素晴らしい人たちでしたよ」

偶然とはいえ、この日、私は2人の全然違う利用者さんから、特攻隊の少年たちはただ国を守りたいという、その清らかな気持ちだけで戦地へ行ったのだと教えてもらいました。

召集されて行ったと思っていたので、心のどこかで憐れむ気持ち・悲壮感があったのですが、このお2人のお話で考えが180度変わりました。

自分から望んで、堂々と立派に散ったわけですから、本望だったのです。

生きた証言が聞けてよかった、そして長い年月を経てもこうしていまだに少年たちを尊敬する人がいるんだ、と感動しました。

神様が、福祉用具の仕事を頑張ってきたご褒美として、このお2人に会わせてくれたのだと思いました。

辞めるにあたって、利用者さんに挨拶回りをしているのですが、皆さんに感謝され惜しんでもらえて、ここでも感動をもらっています。

以前記事に書いたヤのつく利用者さんは、とても残念がってくれました。

「識子さんは所長にまで出世する人やと思てたのになぁ、残念やな。寂しなるなー」 と言ってくれました。

これは別の利用者さんの夫ですが、 「3ヶ月に一回点検する言うたのに、まだけえへんのか、もうお前んとこの車椅子はいらん!」 と電話をかけてくる人がいます。

訪問するとなかば本気で、 「前回の点検はいつやったか?」 と言い 「4ヶ月前です」 と言うと、 「もうええわ、帰って。車椅子は違う会社から借りるわ」 と言います。

でも話をしているうちに機嫌は直り、最後は上機嫌になります。

「次は絶対に3ヵ月後に来いよ」 と言われますが、点検は通常半年に一回だし、150人も担当の利用者さんがいるのでなかなか回れません。

また、のこのこと5ヶ月後に行ったりして、 「何しに来たん? 帰って帰って」 と言われています。

その方も、辞める話をすると、 「そうか。寂しなるけどアンタの人生や、頑張れよ、アンタならどこへいってもやっていける、俺が保障する」 と言ってくれて嬉しかったです。

ケアマネにも1人、手ごわい人がいます。

私と組む前、他の福祉用具専門相談員全員とケンカをし、誰もこのケアマネと仕事をしたがらず、最後の最後に私に回ってきた人です。

このケアマネは短気で、すぐにカッとなって感情をぶつけてきます。

ちょっとしたことで、よく怒鳴られました。

少し前に退職することを告げ、そのケアマネの福祉用具利用者17名にご挨拶に伺った方がいいかどうか聞きました。

すると・・・ 「余計なことは言わんといて!」 と一発目からご機嫌斜めでした。

「福祉用具は今までコロコロ人が替わって、 (ケアマネと揉めて担当が替わるため) やっとええ人が来てくれたってみんな喜んでるのや。アンタが辞める言うたら、次にどんな人が来るんやろって不安になるやんか! 私の大事な利用者さんを不安にさせんといて! 辞めることは言わんでええわ。辞めた後で私から説明するから!」

と、まあ、すごい勢いで怒られましたが、言ってる内容をよく考えたら・・・認めてくれてたんだ~、この人なりに褒めてくれたんだ、と気づきました。

これも嬉しかったです。

そして最後は、郊外に住む80代後半女性の利用者さんの息子さんです。

息子といってももうすぐ60歳で、お仕事をしながら認知症の母親の面倒を見ています。

離婚して1人になってすべてをやっているので、いつも疲れ果てています。

母親は病気のせいで夜中に起きてしまう為、息子さんも熟睡出来ず、常に睡眠不足だと言っていました。

 

日中も、母親がデイに行かない日は心配で、時々仕事の合間に様子を見に家に帰っています。

 

母親思いの優しい息子さんです。

施設に入れることを考えたら? という周囲の提案も 「おふくろがワシと暮らしたい言うてるからな。施設に入れたら可哀想やろ」 と、出来るところまで頑張ると言っています。

この利用者さんは車椅子が合わず、何回も行って調整しましたし、あとから介護用ベッドも入れ、その後もエアマットに替えたりといろいろありました。

郊外なので訪問するには片道1時間かかります。

ベッドを入れる日は、仕事が終わってからのほうがいいとのことで、夕方6時半から搬入し、組み立てて、契約の書類一式が終了したのは8時でした。

そこから1時間かけて事務所に帰り、事務処理を終えて帰宅すると、11時になっていました。

そんなこんながあったお宅です。

 

息子さんはいつもは冗談ばかり言って明るい人でしたが、辞めることを言うとしんみりしていました。

最後は日曜日に訪問したのですが、一緒に外に出て、車を停めている場所まで会話をしながら歩き、私が車に乗り込むところまで送ってくれました。

私は窓を開けて最終的なお礼を言い、そして車を発進させました。

少し走ってルームミラーを見ると、息子さんはまだそこにいて手を振って、見送ってくれていました。

また少しだけ走って後ろを見ると、まだ動かずにいます。

「え?」 と思いました。

田舎の一本道ですから、よく見えます。

チラチラとミラーを見ながら運転していましたが、ずっとそこに立ったまま見送ってくれているのです。

そのうち息子さんの大きさは豆粒になり、ゴマ粒になりました。

結局、私が右折して完全に見えなくなるまで、息子さんはその場を動かず、私を見送ってくれたのでした。

これにはジーンときました。

私も誰かに心からありがとうと言いたい時は、こうして見送ることにしよう、と思いました。

この仕事で私は、本当にたくさんの人と出会い、いろんなことを教えてもらい、学ばせてもらいました。

感謝してもしても、し足りないくらいです。

なのに、神様にご褒美をいっぱいいただいて、心底幸せだと思いました。

つらいこともあったけど頑張ってやってきてよかった、と思いました。

次の仕事は施設に勤務することが内定しました。

応援して下さった皆様のおかげです。

ありがとうございます。

施設は利用者さんの自宅に訪問する福祉用具の仕事とは違い、直接お世話をする仕事なので、またたくさんの気づきや学びがあると思います。

それらの出来事をブログを通して、多くの人とシェアしていけたらいいなと思っています。

 

もうちょっとで福祉用具の仕事は卒業です。

 

 

最後まで悔いのないよう、一生懸命働きたいと思っています。


 

 


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