3ヶ月ほど前に比叡山に行きました。
立て続けに2回行ったのですが、2回目は比叡山の山中をてくてくと歩きました。
歩きながら、ふと 最澄さんは呼んだら来るのだろうか? と思いました。
もし仏様になっていたら (一般的な成仏ではなく、菩薩になるとかそういう仏です) 声が聞こえるはずだと思い、呼んでみました。
すると驚くことに、すぐに現れました。
本人だとわかるようにという配慮なのか、生前の姿です。
きらびやかな法衣ではなく、地味な黒い法衣を着て、頭に白い頭巾みたいなものを被っています。
とても物静かで謙虚な、控えめな感じです。
いつものように丁寧な自己紹介をして、どうして比叡山に来たのかを話しました。
私は高野山にはたびたび行っていたのですが、比叡山には修学旅行でしか行ったことがなく、たくさんの高僧を出した比叡山を感じてみたかったので、そのことを言いました。
最澄さんが、比叡山をどう思ったか? と質問をしてきたので、私は必死で答えました。
その話のついでに、高野山との違いも自分が感じたままを話しました。
最澄さんは 「そうか」 と、嬉しそうににこにこと聞いていました。
私の意見には間違った認識もたくさんあったと思うのですが、最澄さんは優しく黙って聞いてくれました。
そして、私は、今ブログというものをしていて、毎日テーマを考え、文章の構成を考え、記事を下書きして、さらに推敲して文章を整えている、これがもう本当に大変なんです、という話もしました。
最澄さんは、ブログという現代の情報発信方法に興味を持ったようでした。
そして、「得意な者がいるかもしれない」 と言って、どこかへ行きました。
最澄さんが行った所は、広い畳敷きの講堂みたいな場所で、そこには最澄さんの弟子と思われる僧が何百人も座っていました。
そこで見えるのがぷっつり途切れたので、私はウォーキングを楽しみ、景色を楽しんで、写真を撮ったりしました。
しばらく歩いていると、また最澄さんが現れました。
1人の僧を連れています。
見たところ、30代のまだ若い僧で、ものすごく真面目なオーラを放っています。
顔ははっきり見えません。
”ちょうえん” と聞こえたので、それが名前だと思います。
そこで2人はすうっと消えました。
何だったんだろう? と思いましたが、交信はそれで終わりでした。
あちこち見学して夕方になり、下山しようとケーブルカーの駅に行くと、結構混んでいました。
ケーブルカーのシートは2人掛けで、私は窓側に座りました。
出発までまだ時間がありました。
窓の外をぼんやり見ていて、前方に視線を移すと、視界の端に黒い法衣が見えます。
”お坊さんが隣りに座ったんだな” と思い、隣りを見ましたが、誰も座っていません。
”???” 一瞬、はて? と思いましたが、すぐに気づきました。
”もしかして、最澄さんといたあの僧が一緒に来てるのでは?”
感覚を澄ませて集中したら、横にいるのがわかりました。
”一緒にうちまで来るの? な、なんで?”
ケーブルカーはほぼ満席で、後部から人が乗ってきて、私の横が空いているというのに、座ろうとせず前方へ行きます。
結局、立ってる人までいたのに、私の隣りは空席のままでした。
その後、京阪電車に乗り継ぎ、端っこの席に座ってた時も、横に立ってる法衣が見えました。
どうやら最澄さんが、私に僧をつけてくれたようなのです。
家に帰っても気配はありますが、この ”ちょうえん” さんは一切、話をしません。
張燕? 中国の人? と最初は思いましたが、天台宗には円澄という僧がいましたので、 ”澄円” さんなのかもしれません。
後日、高野山に行った時に、空海さんがじーっと見て 「この僧はずば抜けて頭がいい、しかも控えめである、最澄はいい僧をつけてくれたな」 と言いました。
「名前はちょうえんさんで合っていますか?」 と聞くと 「ワシにも名前は言わん、名乗るほどの者ではないと言うておる」 とのことでした。
さて、この僧ですが、最初はなじんでいなくて、いる気配がありありとわかりましたが、今では私をサポートしてくれている守護たちの中に溶け込んでしまって、気配はわからなくなりました。
この僧が来て、何がどう変わったかと言うと・・・ブログを書く時に選ぶテーマが、どこかの誰かに毎回ピッタリとハマるようになりました。
「今回の記事は私のために書かれたものだと思いました。ちょうど悩んでいたところでしたので、答えをいただけて良かったです」 という内容のメッセージが来るのです。
不思議です。
違うテーマで書くつもりだったのに、書く直前になって 「こっちの話を書こう!」 と急に気が変わったりするようになりました。
頭の中で何故かその話がグルグル回るのです。
なかば強制的に、その話について書かされる感じですが、夜中の2時くらいに ”やっぱり元々考えていた話の方がいい” と思うこともあります。
が、一刻も早く寝たいし、眠気でフラフラなため、そこから違う記事を1から書き直す気力がなく・・・今日はもうこれでいいや、とそのままアップします。
すると翌日、 「私にとってベストなタイミングの記事でした」 とお礼が来るのです。
ああ、やっぱり、と思います。
夜中の1時過ぎに、すでに大半を書き終えているのに、なんだかそれをアップするのが猛烈に嫌になり、そこからまったく違う話に書き替えたこともあります。
睡眠不足で死にそうになりましたが、翌日、何通ものお礼が来て、そういうことなんだなぁ、と思いました。
ちょうえんさんは文章を書くことに関しては、サポートしてくれていません。
その証拠に、いまだに、うまくまとめられなくて、ひーひー言いつつ書いています。
ブログを書くことは私にとって、修行の一種のようなので、手助けしてくれないのかもしれません。
いつの日か、ブログをやめる時は、最澄さんにこの僧をお返ししに、比叡山のあの山中まで行かなければ、と考えています。
このように最澄さんは天台宗に限らず、見えない世界の勉強を頑張る後輩 (後に続く者) に大変優しく、懐ろが深いです。
(*^_^*)
立て続けに2回行ったのですが、2回目は比叡山の山中をてくてくと歩きました。
歩きながら、ふと 最澄さんは呼んだら来るのだろうか? と思いました。
もし仏様になっていたら (一般的な成仏ではなく、菩薩になるとかそういう仏です) 声が聞こえるはずだと思い、呼んでみました。
すると驚くことに、すぐに現れました。
本人だとわかるようにという配慮なのか、生前の姿です。
きらびやかな法衣ではなく、地味な黒い法衣を着て、頭に白い頭巾みたいなものを被っています。
とても物静かで謙虚な、控えめな感じです。
いつものように丁寧な自己紹介をして、どうして比叡山に来たのかを話しました。
私は高野山にはたびたび行っていたのですが、比叡山には修学旅行でしか行ったことがなく、たくさんの高僧を出した比叡山を感じてみたかったので、そのことを言いました。
最澄さんが、比叡山をどう思ったか? と質問をしてきたので、私は必死で答えました。
その話のついでに、高野山との違いも自分が感じたままを話しました。
最澄さんは 「そうか」 と、嬉しそうににこにこと聞いていました。
私の意見には間違った認識もたくさんあったと思うのですが、最澄さんは優しく黙って聞いてくれました。
そして、私は、今ブログというものをしていて、毎日テーマを考え、文章の構成を考え、記事を下書きして、さらに推敲して文章を整えている、これがもう本当に大変なんです、という話もしました。
最澄さんは、ブログという現代の情報発信方法に興味を持ったようでした。
そして、「得意な者がいるかもしれない」 と言って、どこかへ行きました。
最澄さんが行った所は、広い畳敷きの講堂みたいな場所で、そこには最澄さんの弟子と思われる僧が何百人も座っていました。
そこで見えるのがぷっつり途切れたので、私はウォーキングを楽しみ、景色を楽しんで、写真を撮ったりしました。
しばらく歩いていると、また最澄さんが現れました。
1人の僧を連れています。
見たところ、30代のまだ若い僧で、ものすごく真面目なオーラを放っています。
顔ははっきり見えません。
”ちょうえん” と聞こえたので、それが名前だと思います。
そこで2人はすうっと消えました。
何だったんだろう? と思いましたが、交信はそれで終わりでした。
あちこち見学して夕方になり、下山しようとケーブルカーの駅に行くと、結構混んでいました。
ケーブルカーのシートは2人掛けで、私は窓側に座りました。
出発までまだ時間がありました。
窓の外をぼんやり見ていて、前方に視線を移すと、視界の端に黒い法衣が見えます。
”お坊さんが隣りに座ったんだな” と思い、隣りを見ましたが、誰も座っていません。
”???” 一瞬、はて? と思いましたが、すぐに気づきました。
”もしかして、最澄さんといたあの僧が一緒に来てるのでは?”
感覚を澄ませて集中したら、横にいるのがわかりました。
”一緒にうちまで来るの? な、なんで?”
ケーブルカーはほぼ満席で、後部から人が乗ってきて、私の横が空いているというのに、座ろうとせず前方へ行きます。
結局、立ってる人までいたのに、私の隣りは空席のままでした。
その後、京阪電車に乗り継ぎ、端っこの席に座ってた時も、横に立ってる法衣が見えました。
どうやら最澄さんが、私に僧をつけてくれたようなのです。
家に帰っても気配はありますが、この ”ちょうえん” さんは一切、話をしません。
張燕? 中国の人? と最初は思いましたが、天台宗には円澄という僧がいましたので、 ”澄円” さんなのかもしれません。
後日、高野山に行った時に、空海さんがじーっと見て 「この僧はずば抜けて頭がいい、しかも控えめである、最澄はいい僧をつけてくれたな」 と言いました。
「名前はちょうえんさんで合っていますか?」 と聞くと 「ワシにも名前は言わん、名乗るほどの者ではないと言うておる」 とのことでした。
さて、この僧ですが、最初はなじんでいなくて、いる気配がありありとわかりましたが、今では私をサポートしてくれている守護たちの中に溶け込んでしまって、気配はわからなくなりました。
この僧が来て、何がどう変わったかと言うと・・・ブログを書く時に選ぶテーマが、どこかの誰かに毎回ピッタリとハマるようになりました。
「今回の記事は私のために書かれたものだと思いました。ちょうど悩んでいたところでしたので、答えをいただけて良かったです」 という内容のメッセージが来るのです。
不思議です。
違うテーマで書くつもりだったのに、書く直前になって 「こっちの話を書こう!」 と急に気が変わったりするようになりました。
頭の中で何故かその話がグルグル回るのです。
なかば強制的に、その話について書かされる感じですが、夜中の2時くらいに ”やっぱり元々考えていた話の方がいい” と思うこともあります。
が、一刻も早く寝たいし、眠気でフラフラなため、そこから違う記事を1から書き直す気力がなく・・・今日はもうこれでいいや、とそのままアップします。
すると翌日、 「私にとってベストなタイミングの記事でした」 とお礼が来るのです。
ああ、やっぱり、と思います。
夜中の1時過ぎに、すでに大半を書き終えているのに、なんだかそれをアップするのが猛烈に嫌になり、そこからまったく違う話に書き替えたこともあります。
睡眠不足で死にそうになりましたが、翌日、何通ものお礼が来て、そういうことなんだなぁ、と思いました。
ちょうえんさんは文章を書くことに関しては、サポートしてくれていません。
その証拠に、いまだに、うまくまとめられなくて、ひーひー言いつつ書いています。
ブログを書くことは私にとって、修行の一種のようなので、手助けしてくれないのかもしれません。
いつの日か、ブログをやめる時は、最澄さんにこの僧をお返ししに、比叡山のあの山中まで行かなければ、と考えています。
このように最澄さんは天台宗に限らず、見えない世界の勉強を頑張る後輩 (後に続く者) に大変優しく、懐ろが深いです。
クリックしてもらえると嬉しいです。 (*^_^*)
↑ このバナーをクリックしてもらえると、ブログランキングというサイトに点数が入ります。(1人1日1回のみ)
多くの方にクリックをしていただければ、ランキングの上位になるので、初めてランキングサイトを訪れた人に読んでもらえる可能性が高くなります。
1人でも多くの方に読んでもらえたらいいな、と思って、日々頑張って書いておりますので、クリックをしていただけたら嬉しいです。
(*^_^*)