ひと月前に比叡山に行った時、帰りの叡山ケーブルで時間待ちがあり、待合室でブラブラしていました。
壁には千日回峰行のパネルが何点か展示されています。
その中の一枚を見た時、 ”あぁ、美しい光景だなぁ” と思いました。
その写真は、沿道にお年寄りが並んで、合掌をして正座をしています。
行者の人が、お年寄りが下げているその頭を、1人ずつ撫でてあげているのでした。
厳しい行をする行者を敬うお年寄りの純粋な信仰心と、その気持ちを民衆に持ってもらえるくらい厳しい行をした行者が、どちらも美しくて見ていて涙が出ました。
私が千日回峰行を知ったのは、2回目の結婚前で、15年くらい前です。
京都博物館で講演会があり、酒井雄哉さんという比叡山で千日回峰行をされた大阿闍梨のお話を聞きに行きました。
酒井さんはこの厳しい行を2回もしたということで、有名なお方です。
その時の記憶が薄れてきていたので、もう一回勉強しようと本を読みました。
「大峯千日回峰行」 という、比叡山ではなく吉野山で行をされた、塩沼亮潤さんという大阿闍梨の本です。
吉野の千日回峰行というのは、標高364メートルの蔵王堂を、夜中の0時半に発ち、提灯と杖を頼りに延々24キロの険しい山道を登り、8時過ぎに標高1719メートルの大峯山頂に行きます。
そして、同じ道を下って15時半に帰堂、その後掃除洗濯をし、翌日の準備をして19時に就寝され、23時半には起床するというスケジュールです。
往復48キロ、標高差1300メートル超を、毎日歩くのです。
この行は、雨が降っても、台風がきていても、休むことは出来ません。
実際に塩沼さんは、下痢をして脱水症状を起こしても歩き、39度超の熱があっても休まず、膝に水が溜まってどんなに痛くても、さらに血尿が出ていても、休むことなく歩かれたのです。
とても過酷な行です。
食事はおにぎりと水だけですので、栄養失調にもなります。
この厳しい日々を、開山の間 (5月~9月) 毎日繰り返されて、9年かけて1000日されるわけです。
すごいことです。
その後、四無行という、断食・断水・不眠・不臥を9日間続ける行も満行されました。
食べないくらいはまだ理解の範囲内ですが、水も飲まないのは生死を左右するので、この行も超人的です。
これほどまでにすごいことを成しえた塩沼さんですが、ご本人はとても謙虚なのです。
偉人であればあるほど、謙虚なのですね。
深い感銘を受けました。
塩沼さんは出家されるまではとても貧乏で育ったのだそうです。
そのおかげで、吉野に行って修行している時、仲間はみんなしんどいと口癖のように言っているなか、塩沼さんは幸せだったそうです。
ご飯は美味しいし、部屋も8畳に2人で何不自由ないし、暖房まであったから、ということでした。
厳しい行をして大阿闍梨になろう、と決意してこの世にきた魂は、そういう部分もちゃんと準備して生まれてくるのだなと思いました。
塩沼さんは言っています。
「毎朝、白いご飯とあたたかい味噌汁が目の前に出てきます。
ある日ある時、これは奇跡だと気づいたのでありました。
今まで当たり前に思ってきたことが、とても感謝に思えてならなかったのです。
日に三度のご飯が食べられ、空気も水も光も平等に与えられているのに、どうして人は不平不満ばかり言っているのだろう、と思ったのです」
本当にそうだ、と素直にうなずけました。
そして自分のことを振り返り、反省しました。
感謝をするどころか、細かいことを不平不満に思ったりしていたからです。
この本はたくさんの気づきをくれました。
最後に、とても感動した塩沼さんの言葉を書いておきます。
「朝起きて、
今日も一日よろしくお願いします、
と手を合わせ、
いいことをして、悪いことをしない。
そして、夜、何事もなく、
無事に終わったならば、
神さん、仏さんにありがとうございました、
と感謝をすること。
これが立派な信仰だと思うのです」
壁には千日回峰行のパネルが何点か展示されています。
その中の一枚を見た時、 ”あぁ、美しい光景だなぁ” と思いました。
その写真は、沿道にお年寄りが並んで、合掌をして正座をしています。
行者の人が、お年寄りが下げているその頭を、1人ずつ撫でてあげているのでした。
厳しい行をする行者を敬うお年寄りの純粋な信仰心と、その気持ちを民衆に持ってもらえるくらい厳しい行をした行者が、どちらも美しくて見ていて涙が出ました。
私が千日回峰行を知ったのは、2回目の結婚前で、15年くらい前です。
京都博物館で講演会があり、酒井雄哉さんという比叡山で千日回峰行をされた大阿闍梨のお話を聞きに行きました。
酒井さんはこの厳しい行を2回もしたということで、有名なお方です。
その時の記憶が薄れてきていたので、もう一回勉強しようと本を読みました。
「大峯千日回峰行」 という、比叡山ではなく吉野山で行をされた、塩沼亮潤さんという大阿闍梨の本です。
吉野の千日回峰行というのは、標高364メートルの蔵王堂を、夜中の0時半に発ち、提灯と杖を頼りに延々24キロの険しい山道を登り、8時過ぎに標高1719メートルの大峯山頂に行きます。
そして、同じ道を下って15時半に帰堂、その後掃除洗濯をし、翌日の準備をして19時に就寝され、23時半には起床するというスケジュールです。
往復48キロ、標高差1300メートル超を、毎日歩くのです。
この行は、雨が降っても、台風がきていても、休むことは出来ません。
実際に塩沼さんは、下痢をして脱水症状を起こしても歩き、39度超の熱があっても休まず、膝に水が溜まってどんなに痛くても、さらに血尿が出ていても、休むことなく歩かれたのです。
とても過酷な行です。
食事はおにぎりと水だけですので、栄養失調にもなります。
この厳しい日々を、開山の間 (5月~9月) 毎日繰り返されて、9年かけて1000日されるわけです。
すごいことです。
その後、四無行という、断食・断水・不眠・不臥を9日間続ける行も満行されました。
食べないくらいはまだ理解の範囲内ですが、水も飲まないのは生死を左右するので、この行も超人的です。
これほどまでにすごいことを成しえた塩沼さんですが、ご本人はとても謙虚なのです。
偉人であればあるほど、謙虚なのですね。
深い感銘を受けました。
塩沼さんは出家されるまではとても貧乏で育ったのだそうです。
そのおかげで、吉野に行って修行している時、仲間はみんなしんどいと口癖のように言っているなか、塩沼さんは幸せだったそうです。
ご飯は美味しいし、部屋も8畳に2人で何不自由ないし、暖房まであったから、ということでした。
厳しい行をして大阿闍梨になろう、と決意してこの世にきた魂は、そういう部分もちゃんと準備して生まれてくるのだなと思いました。
塩沼さんは言っています。
「毎朝、白いご飯とあたたかい味噌汁が目の前に出てきます。
ある日ある時、これは奇跡だと気づいたのでありました。
今まで当たり前に思ってきたことが、とても感謝に思えてならなかったのです。
日に三度のご飯が食べられ、空気も水も光も平等に与えられているのに、どうして人は不平不満ばかり言っているのだろう、と思ったのです」
本当にそうだ、と素直にうなずけました。
そして自分のことを振り返り、反省しました。
感謝をするどころか、細かいことを不平不満に思ったりしていたからです。
この本はたくさんの気づきをくれました。
最後に、とても感動した塩沼さんの言葉を書いておきます。
「朝起きて、
今日も一日よろしくお願いします、
と手を合わせ、
いいことをして、悪いことをしない。
そして、夜、何事もなく、
無事に終わったならば、
神さん、仏さんにありがとうございました、
と感謝をすること。
これが立派な信仰だと思うのです」