あるところに、とても真面目で素直な少年がいました。

その少年は中学校で吹奏楽部に入り、トランペットが大好きになりました。

楽器を演奏することがこんなに楽しく、心躍るものだということを、それまで知らなかったのです。

学校で練習するだけでは飽き足らず、親に無理を言って1番安いトランペットを買ってもらいました。

少年は、来る日も来る日も、一生懸命練習をしました。

安いトランペットでしたが、少年にとっては宝物で、毎日丁寧に磨いて大事にしていました。

少年は音楽家になりたいという夢を持ち、前向きに努力をしていました。

そんなある日、少年の頑張り具合を見て、顧問の先生が言いました。

「僕の友達が音大出で、自宅でトランペットを教えているから、習いに行くか?」

少年は ”行きたい!” と思いましたが、レッスン料が気になりました。

家庭が裕福ではないからです。

先生は、安くするように言ってみるよ、とレッスン料を交渉してくれました。

1ヶ月3千円という破格の金額になりましたが、少年の親は渋りました。

少年はお手伝いでも何でもするし、他には何もいらないからと頼み込んで、やっとのことで許可をもらいました。

少年は週1回のレッスンが待ち遠しくて楽しみで、毎日が輝いていました。

トランペットの先生宅までは、自転車で片道1時間30分かかるのですが、電車代をもらえないので往復3時間かけて、自転車で行っていました。

でもそんなことは全然苦ではありません。

毎回、ウキウキの気持ちで自転車をこいで行っていました。

もちろん、自宅での練習も欠かしませんでした。

先生に才能があると褒められ、少年はどんどん上達していきました。

レッスンを始めて、1年になろうかという頃でした。

親が、これ以上レッスン料が払えない、悪いけどレッスンはやめてほしい、と少年に告げました。

少年は、この先お小遣いは一切いらない、何も買ってもらえなくてもいい、だからトランペットだけは続けさせてほしいと必死でお願いしました。

でも、そんな余裕はないとハッキリ言われ、少年は底なしの絶望感に襲われました。

さらに少年にとって過酷だったのは、先生に辞めることを、自分で言わなければならないことでした。

最後のレッスンは気が重たくて、辞めることを言うのが嫌で、自転車をこいでもなかなか先生宅に到着しませんでした。

その日のレッスンが終わって、少年は先生に辞めることを告げました。

先生は、 「才能もあるし、あんなに熱心に練習していたのに何故?」 と理由を聞きました。

少年は言いました。

「もうトランペットに・・・興味がなくなりました」

お金がないとは口が裂けても言えません。

親に恥をかかせるからです。

一生懸命働いているのに、貧乏というだけで親の価値を下げたくなかったのです。

「そうか・・・」 と先生はそれ以上、何も言いませんでした。

その態度は、少年には ”君には失望したよ” と言っているように感じられました。

少年は、締め付けられるような胸の痛みを覚えましたが、ここで泣くわけにはいきません。

努めてクールにお礼を言い、先生の奥さんにもお別れを言いました。

奥さんは、さすが女性で、ピンと来たようでした。

いつもは玄関先でサヨウナラと言うのに、その日は路地の角まで送ってくれました。

そして別れ際に 「××君、これからも頑張ってね。負けないでね」 と言いました。

少年は奥さんと別れて1人になると、河原に行って泣きました。

泣いても泣いても涙は乾くことなく、いつまでも泣き続けました。

赤く腫らした目で家に帰るわけにはいかないので、少年は何時間も自宅の近くをぐるぐる回ってから帰宅しました。

そして、何事もなかったかのように、元気いっぱいに 「ただいまー!」 と、玄関を開けたのでした。

読まれている最中に気づかれた方もいるかと思いますが、これは私の元夫の話です。

彼はこの体験を長い間、誰にも話せずにいました。

あまりにも心の傷が大きかったせいです。

結婚して6~7年した頃、2人で人生で辛かった話をしていて、そこで初めてポツポツと語ったのでした。

元夫の心の傷は、大好きなトランペットのレッスンを辞めなければいけなかったという、絶望感だけではありませんでした。

彼は敬虔なクリスチャンで、 ”嘘は罪” と幼い頃から思っていました。

あの日、大好きなトランペットに対し、 「興味がなくなった」 と心にもない大きな嘘をついたことも、彼の心に深く罪悪感として刻まれていたのでした。

と言うより、むしろ、嘘をついて自分を偽ったこと、嘘をついて自分の人格を下げ、先生に失望されたことの方が、絶望感よりもつらかったのです。

純粋な少年時代ですから、なおさら深く傷がついたのでしょう。

「そんな体験をしてたの・・・それはつらかったね」 と言うと、元夫は涙をポロポロこぼしました。

自分でも思い出したくなかったから封印していたと言います。

「じゃあ、ここで全部吐き出せて良かったね、今まで長かったね。ずっと重たかったんじゃない?」 と言うと、元夫は子供のようにしゃくり上げて泣いていました。

私は黙って背中をさすっていました。

一旦刻まれた心の傷は、時を超えても、こうして苦しめるのだなと思いました。

封印していても、何かしら彼の心に影響はあったと思います。

それから元夫は、何回かこの話をしていました。

話をして口にすることで、傷が薄らぎ、少しずつ自分の中で納得がいっているようでした。

そしてある日を境に、この話はまったく出てこなくなりました。

その日も同じように、元夫は当時のつらさを話していました。

そして言いました。

「俺、タイムマシンに乗って、あの日の俺に会いに行きたいわー」

「で、どうするん?」

「少年の俺の肩を抱いて、言うてあげるねん」

「なんて?」

「人にどう思われようと、神様さえわかってくれてたらええやんか。あれは親を思う気持ちから出た嘘や。ついてええ嘘なんやで、気にせんでええで、って」

自分が自分に言ったその言葉で、心の傷は完全に癒されたのか、それ以来、この話は聞いていません。

心の傷を癒すには時間がかかるのだと、教えられた出来事でした。

 

 

 

 

 

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