1ヶ月前くらいだったと思います。
めったにテレビを見ない私が、お昼を食べながらテレビでも見ようかな、と珍しくテレビをつけました。
チャンネルはたまたまNHKでした。
画面では、1人のお坊さんがインタビューをされていました。
何の気なしにそのまま見ていると、お坊さんは ”縁起” について、話し始めました。
人柄の良さそうな、人徳がある感じのお坊さんです。
釈徹宗さんという方で、僧侶であり、宗教学者でもある方でした。
私はすぐに話に引き込まれました。
釈さんは、仏教は ”関係性” というようなこと言っていました。
そこで、ベトナムの僧侶のティク・ナット・ハンさんの話をされたのです。
私はこのベトナムの高僧のことも知りませんでした。
話を要約すると・・・。
ティク・ナット・ハンさんが日本で講演をされた時のことです。
一枚の紙を取り出して、聴衆に見せ、こう言ったそうです。
「この紙の中に雲が見えますか?」
そして、その説明をされました。
もし、雲がなかったら雨は降りません。
雨が降らなかったら、樹木は育ちません。
樹木が育たない、ということはパルプが出来ません。
パルプが出来なかったら、この紙は存在しなかったでしょう。
すべてのことが関係を持って存在している、これが仏教の考え方です、と釈さんは言われました。
なるほどなぁと思いました。
そしてそれは、時間を軸にして考えても成り立つような気がします。
つまり、過去の数々の出来事があって今の自分が存在している、過去の嫌なことや辛かったことが今の自分を形成している、その過去がなかったら、現在の人格の自分は存在していなかった・・・
ということは、どんな過去の出来事でも必要だったということであり、忘れたり消したりしなくてもよい・・・
紙の中に雲を見るように、自分という中にそれは置いていていいのだ、と思いました。
それは結局、山あり谷ありの歴史も含めた自分という人間の、全肯定です。
すべてが関係し合って、今があるというふうに考えられます。
このお話は心にすーっと染み込んできました。
釈さんという方のお人柄か、お坊さんだからなのかわかりませんが、おかげで心の中にあったいくつかの小さな傷が癒えました。
法話というのは、心の傷をそっと撫でてくれるような、そんな優しい救済方法なのだなと思いました。